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ジョー・コッカーが世界に名を知らしめるきっかけとなったアメリカツアーの伝説

2024.12.21

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2014年12月22日、イギリス出身のブルー・アイド・ソウル・シンガー、ジョー・コッカー(享年70)がアメリカ・コロラド州の自宅で死去した。死因は肺癌と公表された。ハスキーなしわがれ声と独特の歌唱が持ち味だった彼には、世界に名を知らしめるきっかけとなったターニングポイントがあった。


1960年代初頭、15歳となったジョーはガスの配管工として働きながら、“ヴァンス・アーノルド”という芸名を名乗り、労働者達が集う酒場(パブ)で音楽活動を始めた。大好きなレイ・チャールズやチャック・ベリーの曲をカヴァーし、ジョン・リー・フッカーやマディー・ウォーターズなどのブルースを多く歌っていたという。

1963年、ローリング・ストーンズのサポートを務めた後、デッカレコードと契約を結び、翌年ビートルズの「I’ll Cry Instead」のカヴァーでデビューするも、不発に終わる。

地元シェフィールドにてライヴ活動を地道に続け、1968年にA&Mレコードから再デビューを果たす。同年、ビートルズの「With A Little Help Of My Friends」をカヴァーしたシングルがイギリスでトップ10入り、一躍人気歌手の仲間入りを果たす。

このカヴァーには、当時ポール・マッカートニーも絶賛した。そして、1969年8月、ウッドストック・フェスティヴァルに参加。


このステージでのパフォーマンスが話題となり、アメリカでも注目を集めるようになったジョーは、レオン・ラッセルがバンドリーダーを担当したマッド・ドッグス&イングリッシュメンをバックに従え、全米ツアーを実施する。

同バンドは、60年代後半~70年代に巻き起こったスワンプロックムーヴメントの立役者として知られるデラニー&ボニー&フレンズから抜けてきた(レオン・ラッセルが引き抜いた)腕利きのミュージシャン達に加え、実力派のシンガー達がバックコーラスを固める21人編成となった。

●メンバーリスト ジョー・コッカー(ボーカル)、レオン・ラッセル(ギター/ピアノ)、クリス・ステイントン(ピアノ/オルガン)、カール・レイドル(ベース)、ジム・ゴードン(ドラムス)、ドン・プレストン(ギター)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、チャック・ブラックウェル(パーカッション/ドラムス)、サンディ・コニコフ(パーカッション)、ボビー・トレス(コンガ)、ジム・プライス(トランペット)、ボビー・キーズ(テナーサックス)、リタ・クーリッジ(コーラス)、クラウディア・レニア(コーラス)、ドナ・ウォッシュバーン(コーラス)、ドナ・ワイス(コーラス)、ダニエル・ムーア(コーラス)、マシュー・ムーア(コーラス)、パメラ・ポランド(コーラス)、ニコル・バークレイ(コーラス)、ボビー・ジョーンズ(コーラス)など

ツアーはこの演奏者達に加え、舞台裏で巡業の世話をしたデニー・コーデル、スタッフ、メンバーの奥さんや子供、ガールフレンド、映画撮影班、それに犬が一匹。総勢42名+1匹という大所帯となった。

1970年3月19日から5月16日までの59日間、チャーター機Matim202で、アメリカの20都市(65ステージ)を飛び回った演奏旅行だった。


まず、ジョーがこのツアーのためにイギリスを発って、ロサンゼルスに飛んだのが3月11日のことだった。本国イギリスでのチャートインやウッドストック・フェスティヴァルへの出演によって、音楽ファンからの注目は高まりつつあったが、ハードなスケジュール、巡業先でのバックバンドとのトラブルや、様々なプレッシャーを抱えて当時の彼は疲れていたという。

そんな気持ちをよそに、アメリカのメディアはこんな言葉でプレッシャーをかけてきた。

「今度のツアーの成功不成功は、アメリカにおける彼のエンタテーナーとしての生命を左右するものだ。」


切羽詰まった状況を知ってジョーの支援に乗り出したのが、友人のレオン・ラッセルだった。レオンは、ジョーがロサンゼルスに到着してたった二日間で10人の演奏メンバーを決め、その翌日には9人のコーラス歌手を見つけ、21人編成のバンドのリハーサルを行った。

ツアーのコーディネートを担当したデニー・コーデルは、その時のことをこう語っている。

「レオンの組織力は素晴らしく、電撃的早わざだったよ。電話だけであれだけのメンバーをたった二日間で集めるなんて!」


3月14日、集まったメンバーにより、12時間にもおよぶリハーサルが行われた。そのリハーサルスタジオには、関係者を含む300人もの人々が、“凄いバンドの誕生を一目見よう”と押しかけてきたという。

15日、16日、17日と、同じく12時間を超えるマラソンリハーサルが行われる中、シングルレコード用に「The Letter(あの娘のレター)」と「Space Captain」が録音された。


3月19日、総勢42名+一匹はチャーター機に乗り込み、最初の演奏地デトロイトに向けてロサンゼルス空港を飛び立った。

20都市での公演チケットは(ジョーの心配を見事に吹き飛ばし)行く先々でソールドアウトとなり、ジョー・コッカーはマッド・ドッグス・アンド・イングリッシュメンと共に、爆発的なライブパフォーマンスでセンセーションを巻き起こしてゆく。

「一気に借りを返した気持ちだったよ!」


ジョー・コッカーとレオン・ラッセルの友情から生まれたバンドは各地で素晴らしい演奏を披露し、5月16日、カリフォルニアのサンバーナーディーノ公演でショーの幕を降ろした後に解散した。

腕利きミュージシャン達が集まり、連日連夜熱狂的なライブを繰り返し、舞台裏では酒とドラッグにまみれた乱痴気パーティーが行われていたというこのマッド・ドッグス・アンド・イングリッシュメンの旅。

良い意味でも悪い意味でも時代を象徴していた大所帯のツアーは、一枚の名盤(ライブアルバム)と映画作品となり、ロックファンの間では今も伝説として語り継がれている。

<引用元・参考文献『ウイズ・ジョー・コッカー 映画パンフレット』東宝/メトロ・ゴールドウィン・メーヤー映画会社>

Joe Cocker『Mad Dogs & Englishmen』
A&M

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執筆者
【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

【公演スケジュール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12660299410.html

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