ビートルズが初来日し、武道館で行われた歴史的なコンサートに、日本中の若者達が熱狂した1966年。そのコンサートよりも数ヶ月前に、海の向こうのアメリカやカナダの音楽ファンを夢中にさせた名曲があった。
今日はアメリカの黒人歌手パーシー・スレッジ(享年74)の大ヒット曲「When a Man Loves a Woman(男が女を愛する時)」の誕生秘話をご紹介します。
「When a Man Loves a Woman」/パーシー・スレッジ
1966年の4月にシングルリリースされたこの歌は、発売の翌週からアメリカのR&Bチャートで4週間、全米チャートでは2週間にわたってNo.1の座をキープし、隣国カナダでも同じく首位を独占した。
発売元のアトランティック・レコードではこれが3枚目の全米トップで、“初のゴールドディスク”となったという伝説のヒットソングである。
約20年の歳月を経て…同曲はイギリスで、1987年にジーンズブランド“Levi’s(リーバイス)”のCMソングに起用され全英チャートでNo.2を記録する。さらには、R&Bに深く傾倒しているアメリカの歌手マイケル・ボルトンが1991年にこの曲をカヴァーし、オリジナル同様、全米チャートでNo.1に輝くなど、まさに時代を超えて愛されつづけてきた“希代の名曲”なのだ。
「When a Man Loves a Woman」/Levi’s 501 コマーシャル (1987)
パーシー・スレッジは、1940年11月25日(長く1941年生まれとされていたが、最近になって訂正された)アラバマ州レイトンの田舎で生まれた。幼い頃からラジオでカントリー・ミュージックを聴きながら育ち、21歳になるまでプロの黒人歌手がいることを知らなかったという。
高校時代には野球の才能を開花させ、ハイスクールチームの選手として活躍していた野球少年だった。しかし、卒業後は野球で生活できる訳でもなく、しばらくはブルーカラー(労働者)の仕事をしていた。そして1965年の終り頃、彼に二つの不運が訪れる。
ある日突然、働いていた職場から解雇を言い渡され、職を失ってしまう。さらに、当時交際していた女性がモデルを夢見てカリフォルニアに旅立ってしまい、彼は捨てられた恰好となった。
職も恋人も失った彼は、悲しみに暮れながらも“溢れる気持ち”をノートに書きとめて、浮かんできたメロディに乗せてみた。
男が女を愛する時 最後の10セント硬貨を使い果たしても
必要なものを繋ぎとめようとする
もしも彼女に言われれば 彼はすべての安らぎをあきらめ
雨の中で寝ることも厭わない
曲の原型が出来たときのタイトルは「Why Did You Leave Me Baby」(ベイビー!どうして俺を捨てたんだよ!)だったらしい。その後、アラバマ州シェフィールドの病院で雑用の仕事をするようになると、患者を慰めるために歌を唄うようになった。
そして週末は、The Esquires Combo (エスクァイアーズ・コンボ)という地元のグループと共に、南部の地方の小さなクラブなどでも歌い始めた。そんな日々を過ごす中、25歳となった時に転機が訪れる。
病院で歌っていたことがちょっとした評判となり、地元の音楽プロデューサー(クイン・アイヴィー)が声をかけてきたのだ。
クインの紹介で、彼は大手レコード会社(アトランティック)のオーディションを受けるチャンスを掴み、その誠実な人柄が認められ契約を交わすこととなる。
「契約したばかりのパーシーの歌声を早速レコーディングしよう!」と、トントン拍子で話しがまとまっていく。そこで選曲された歌が、あの失意の時期に紡いだ「Why Did You Leave Me Baby」だったのだ。
職を失い、彼女に去られてしまったという実体験に基づいて書かれたトーチソング(失恋歌)は、新たに「When a Man Loves a Woman」というタイトルに生まれ変わり、たった数週間の間でレコーディングの準備が整えられた。
そして1966年の2月、いよいよその楽曲を録音するにあたって、リック・ホールからプロデューサーでギタリストでもあるマーリン・グリーンを紹介してもらい、優れたミュージシャンたちが集められたのだ。
【参加ミュージシャン】
スプーナー・オールダム: Organ
マーリン・グリーン : Guitar
アルバート “ジュニア” ロゥ: Bass
ロジャー・ホーキンス: Drums
実はレコーディングされるギリギリまで、この曲の歌詞は完成しておらず、パーシーがアドリブで言葉を乗せながら歌っていたという。手練の演奏者たちによって誕生した入魂の一曲は、完成と同時に、関係者の誰もがヒットを確信した。
律儀で誠実なパーシーは、アマチュア時代を共に過ごしたグループ(エスクァイアーズ・コンボ)のメンバー、カルヴィン・ルイス(Bass)とアンドリュー・ライト(Keyboards)が、もともと曲作りに貢献してくれていたという理由で、楽曲の権利を二人に与えた。 本当の作詞作曲者である自分の名前がクレジットされていないのは、そういった経緯からだった。
こうして億単位の印税収入を手に入れることなく、有名になっても南部人らしい地に足のついた生活を送っていたという。楽曲の著作権に関して、彼は後日談でこんなことを語っている。
「本当はちょっと後悔しているよ。あの曲の権利を持っていたら、子供にもう少しいい暮らしをさせてあげれたと思うから…」
いつも和やかに微笑んでいたという。その飾らない笑顔が、パーシー・スレッジの人柄、そして人生のすべてを物語っているようだ。素晴らしい名曲と歌声をありがとう。
When a Man Loves a Woman
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執筆者
【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html