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ライトニン・ホプキンスを偲んで〜稲妻と呼ばれた伝説のブルースマンの足跡と功績

2026.01.29

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ライトニン・ホプキンス。長いブルース史において、最も多くのレコード作品を残した一人として知られている伝説のブルースマンだ。 1982年1月30日、故郷テキサスの地で永眠。69歳、死因は癌だった。

稲妻を意味する“Lightnin’(ライトニン)”はもちろん芸名で、本名はサミュエル・ホプキンスという。1912年にテキサス州で生まれ、10歳の頃にブラインド・レモン・ジェファーソン(テキサスブルースの元祖)と出会い、付き人となってギターを学ぶ。

その後、テキサス・アレクサンダー(楽器を弾かない伝説のブルースシンガー)の伴奏をつとめ、1946年(当時34歳)にレコードデビューを果たすが…鳴かず飛ばずだった。

当時はピアノのサンダー・スミスとコンビを組むことが多く、相棒の“サンダー(雷)”の名にちなんで、いつしか彼も“ライトニン(稲妻)”と呼ばれるようになった。

ホプキンスは、自分の体験や想いを即興で歌にしてしまう能力に恵まれていた。1920~30年代にアメリカ各地を放浪したときの思い出、若い時に収容された刑務所での体験、1940年代になって激化していった戦争(第二次世界大戦)のことなどを歌にして、その泥臭く生々しい音楽表現、語り部としての才能が高く評価された。

1950年以降も順調にキャリアを重ねていたが、レースレコード(黒人向け専門のレーベル)の需要低下と共に、1956年あたりから活躍の場を失うようになる。

3年後の1959年に起こったフォーク・リヴァイバルによって白人の音楽ファンに再発見されたホプキンスは、再び脚光を浴び始める。

当時のフォーク、プロテストソングの盛り上がりの中で、リベラルな白人達に持ち上げられたホプキンスは、アメリカ各地の大学で歌うようになる。公演はどこも超満員だった。

ボキャブラリーが豊富で頭の回転の早いホプキンスが即興で生み出す歌詞によって、客席は抱腹絶倒したり、時に重たい空気になったり、様々だったという。また、大の飛行機嫌いで滅多に海外ツアーを行わなかったが、1978年には最初で最後となった来日公演を行なっている。

亡くなる前年(1981年)まで地元テキサス州ヒューストンを拠点にコンスタントに活動を続けていた。ホプキンスが残したレコーディング音源は100枚を超えると言われており、弾き語りのカントリーブルースからバンドセッションでのロックンロール的なものまで、実に多才(多彩)でありながらも“一本貫く美学”のようなものがあった。

そのスタイルは、テキサスブルースの伝統を受け継ぎながら、独特の技法を磨き、戦後のブルースやロックに多大な影響を与えた。



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執筆者
【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

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