1985年7月13日に開催された「ライヴエイド(LIVE AID)」は、アフリカの飢饉救済のためにミュージシャンたちが開いたフェスティバルで、ロンドンとフィラデルフィアの会場から世界中にテレビで生中継された。
ことの発端は、前年にエチオピアで深刻な飢饉が起きたことを受けて、イギリスとアイルランドのロック・ミュージシャンたちが企画した「バンドエイド(Band Aid)」だった。
アフリカ飢餓救済基金を行うためにキャンペーン・ソングを作り、レコードの売り上げを寄付しようというアイディアは当時としては画期的で、「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス(Do They Know It’s Christmas?)」が発売されると予想をはるかに上回る大ヒットとなった。
それを追う形で1985年の春にはアメリカで、「USAフォー・アフリカ」として著名なアーティストが45人も集まり、作詞・作曲がライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソン、プロデューサーがクインシー・ジョーンズによる「ウィー・アー・ザ・ワールド(We Are The World )」が作られ、こちらも驚異的な成功を収めることになった。
そうした取り組みを発展させてアフリカ難民の飢餓救済を訴えるコンサートを開催し、収益金を寄付するというのが「ライヴ・エイド」の骨子となった。
出演者はロック・シーンのビッグ・ネームと、その時代の旬なアーティストを総動員したかのように豪華なもので、この日のために再結成したザ・フーやレッド・ツェッペリンから、まさにブレイク中だったデュラン・デュラン、ワム、マドンナといった新鋭たちが顔を揃えた。
7月13日12時から先行してスタートしたロンドン郊外のウェンブリー・スタジアムで、オープニングを飾ったのはステイタス・クォー、トリを飾ったのがポール・マッカートニー、最後には出演者全員で「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」の合唱で締めくくった。
ライブ・パフォーマンスで最も盛り上がったのは、クイーンだったと言われている。
クイーン~ロック史に輝く起死回生のパフォーマンス
ただし全体的には黒人アーティストの出演者が少なかったが、この点に関して主催者のボブ・ゲルドフは割り切った発言をしている。
「ライヴ・エイドの目的は金集めだ。レコードを百万枚売っているバンドが出れば、千枚売っているバンドが出るよりも多くの人が見る。寄付金が集まるほど、より多くの命が助かる」
ちなみにウェンブリー・スタジアムに出演した唯一のアフリカ系黒人アーティストが、シャーデーだった。
フィラデルフィアのJFKスタジアムではフィナーレの前に、ボブ・ディランがローリング・ストーンズのキース・リチャーズとロン・ウッドを伴ってに登場した。
その直前に舞台に立っていたのがホール&オーツのバンドを従えたミック・ジャガーだったのは、当時のローリング・ストーンズが深刻な解散の危機を迎えていたという事情によるものだった。
キース・リチャーズとミック・ジャガー〜ストーンズ最大の危機と孤高の響き
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