ドイツが生んだ“パンクの母”こと、ニナ・ハーゲン。メッセージ性の強い表現。パンク〜グラムロックへのリスペクト。その奇抜な風貌からは想像しがたい歌声。オペラ、カンツォーネ、そしてヨーデルやホーミー(モンゴルの伝統的な発声法)、絶叫、悶絶、唸り声などなど…多彩な要素を取り入れた唯一無二の歌唱スタイルはまさに圧巻の一言に尽きる。
今日はカルト的な人気を誇った彼女の足跡をあらためてご紹介します。
1955年3月11日、ニナは旧東ドイツで生まれた。父親は脚本家で、母親は女優という芸能家族だった。
当時の東ドイツはベルリンの壁によって西ドイツと分断されている、いわゆる共産圏時代。父方の祖父は経済学者兼銀行家だったが、ユダヤ系であったためナチスの収容所で亡くなっている。
複雑な家庭環境に生まれた彼女は、母親と一時同棲していたことのある作家であり、音楽家のヴォルフ・ビーアマンを父のように慕って育った。
子供の頃から母親の影響もあり女優を志していたが、演劇学校の入学試験であえなく不合格となったことをきっかけにバンドを結成。
当時、ロンドンの若者たちが熱狂していたグラムロックや、ニューヨークで産声をあげようとしていたパンクなどの影響を受けて歌うようになったニナは、十代にして表現者としてのキャリアをスタートさせる。
19歳を迎えた年(1974年)に東ベルリンで通っていた学校の歌手養成コースを卒業した後は、国内で活動していたバンドを渡り歩きながら、独自の歌唱スタイルと表現力に磨きをかけていく。
そんなある日、父として慕っていたヴォルフ・ビーアマンが、反政府的な言動で旧東ドイツ政府により市民権を剥奪され国外追放となる。公然と彼を支持したニナも、国外での演奏活動の帰りに旧東ドイツから再入国を
拒否され、そのまま西ドイツへと亡命してイギリスへと渡った。
そして1977年(当時22歳)にイギリスからドイツに帰国すると、西ベルリンのクロイツベルクでニナ・ハーゲン・バンドを結成する。
翌1978年には1stアルバム『Nina Hagen Band』でデビューを果たし、そのインパクトの強いパフォーマンスとサウンドを武器に、国外でも大きな注目を集める存在となる。
しかし、ほどなくしてのメンバーとの間に確執が生じ始める。 契約を結んだレコード会社(CBS)とはアルバム2枚をリリースしなければならない約束が交わされていたため、2ndのレコーディングはまったく気持ちの通わないまま決行されることとなった。
翌1979年にリリースされたそのアルバムには『Unbehagen (不愉快)』 という皮肉なタイトルがつけられた。その後、1982年(当時27歳)からソロ名義で活動するようになる。
さらなる飛躍を遂げるべく英語圏向けに製作したソロ第一弾アルバム『NUNSEXMONKROCK』では、ダンスミュージックやレゲエの要素を取り入れるようになり、ニナの世界観はよりエキセントリックなものへと進化していく。
当時、そんなニナのソロ作品をローリング・ストーン誌は「史上最も聴くに耐えないアルバム」と紹介した。そんな批判的なコメントすらニナ・ハーゲンにとっては、むしろ輝かしい称号だったことは言うまでもない。
以降、彼女は音楽活動と平行しながらUFO論、インドへの傾倒、希少動物の保護などで注目を集めることもあった。80年代〜90年代と結婚、出産、離婚、そして再婚を繰り返し、まさに波瀾万丈な人生を歩んできたニナは、現在20歳以上歳の離れたカナダ出身の理学療法士を伴侶にしているという。
【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html
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