「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the NEWS

故郷(ふるさと)〜100年以上歌い継がれてきた日本人の心の風景

2017.11.19

Pocket
LINEで送る


兎追いしかの山
小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき ふるさと


おそらく老若男女を問わず、日本人だったら誰でも一度は耳にしたことのある曲の一つだろう。
この「故郷(ふるさと)」が誕生した1914年(大正3年)は、東京駅が開業した年であり、第一次世界大戦が勃発した年でもある。
文部省が編纂した教科書『尋常小学唱歌(第六学年)』で発表されたこの歌は、もともと童謡として作られたものではないという。
その歌詞には“子供の発想”ではない郷愁の想いが綴られているのだ。
文部省唱歌作家で名コンビとされている高野辰之(作詞家)と岡野貞一(作曲家)が手掛けた作品である。
「春が来た」「紅葉(もみじ)」「朧月夜(おぼろづきよ)」など、彼らの名前を知らなくても、日本人ならば誰もが知っている名曲たち。
この「故郷」を含む文部省唱歌は、編纂委員の合議制で作られていたたため、当時は具体的な作者名が掲載されることはなかったという。
戦後になって教科書が国定から検定に変更されると、著作権の問題から作者を明らかにする調査が進められ、この「故郷」は高野と岡野のコンビによる作詞作曲と記されるようになったのだ。
この歌を作曲した岡野は鳥取県鳥取市出身で、 14歳の時にキリスト教の洗礼を受けている。
岡山県の教会で宣教師からオルガンの演奏法を習い、更に東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に入学し、西洋音楽の理論と技術を深めていったという。
後には同校の教授を務め、音楽教育の指導者の育成に尽力するとともに、敬虔なクリスチャンとして毎週教会のオルガンを弾いていた。
この「故郷」や「朧月夜」など、岡野の作品には賛美歌の影響を強く受けたと思われる 3拍子のリズムを用いた旋律が数多く見られる。

如何にいます父母
恙(つつが)無しや友垣(ともがき)
雨に風につけても
思い出ずる ふるさと


一方、作詞を担当した高野は長野県中野市(旧豊田村)出身で、この「故郷」は、自身が生まれ育った田舎の風景をモデルにしたという。
歌詞の舞台になっている中野市永江地区といえば、当時、棚田や畑が広がっており、昔ながらの日本家屋も残っていた集落だった。
歌詞に出てくる「かの山」とは、熊坂山や大平山、そして大持山のことを歌ったものと言われている。
そして「かの川」とは、その地区を流れる班川(はんがわ)と推測されている。
『わらべうた・遊びの魅力』などの著書があり、唱歌に詳しい岩井正浩(神戸大学名誉教授)は、この歌が今も歌い継がれつづける理由をこう語っている。

「それは歌詞の魅力でしょう。誰もが思い浮かべることができる自然を歌い、また、都会で名をなして“故郷に帰りたい”というような立身出世の精神性が日本人の感情に合ったのではないでしょうか。」

どれだけ時代が移り変わり、景観が変わっても、この「故郷」を口ずさめば心に中にある“ふるさと”の風景が蘇ってくる。
なんとも不思議な“歌のチカラ”を持っている曲である。
宇宙飛行士の若田光一が国際宇宙ステーションでの滞在の思い出を語った記事がある。

「青い地球を眺めながら、母校(さいたま市の小学校)の子供たちが歌ってくれた“故郷”はとても印象的たでした。」

宇宙船の窓から見た地球。
宇宙で聴いた“故郷”に、彼はどんな風景を思い浮かべたのだろう?


<引用元・参考文献『唱歌・童謡120の真実』竹内貴久雄(著)/ヤマハミュージックメディア>

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

    関連記事が見つかりません

[TAP the NEWS]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ