「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

新着

TAP the STORY

ビースティ・ボーイズ〜すべての活動に貫かれたD.I.Y.精神

「アダムは僕にロープの結び方や、自分の好きなパンク・バンドのバッジの作り方、それからライブにこっそり入るための偽スタンプの作り方まで教えてくれたよ」 癌に冒され…

Extra便

寺山修司が世に出した”ふたりのマキ”②カルメン・マキ「時には母のない子のように」

2015年10月24日、カルメン・マキがNHK-BSプレミアム「ザ・フォーク・ソング~青春のうた」に出演して、「戦争は知らない」と「時には母のない子のように」の…

TAP the SONG

寺山修司が世に出した”ふたりのマキ”①浅川マキの世界「かもめ」

浅川マキが2010年に突然のように亡くなった後、音楽プロデューサーの寺本幸司はCDのライナーノーツでこう述べている。 蠍(さそり)座で、寺山修司構成演出で、浅川…

Extra便

美輪明宏の表現でアングラという枠を超えてスタンダードになった寺山修司作品『毛皮のマリー』

劇団・天井桟敷が美輪明宏(当時は丸山明宏)を主演に迎えて1967年4月に上演した『青森県のせむし男』は、5月になってすぐに映画館「アートシアター新宿文化」でアン…

TAP the LIVE

海外のパフォーマンスを取り入れて昇華させた忌野清志郎

1978年にアコースティックからエレクトリックへと路線を変更したRCサクセションは、忌野清志郎のグラムロックを彷彿とさせる派手な化粧と、エネギッシュでソウルフル…

Extra便

KISSの武道館公演をNHKテレビの『ヤング・ミュージック・ショー』で見て感激した忌野清志郎の決断

高校生でバンドを作った1968年から活動をともにしてきたオリジナル・メンバーの破廉ケンチが、うつ病でギターが弾けなくなってメンバーから外れたのは、結成から10年…

Extra便

忌野清志郎がNHKホールで行われた『どんと 紅白』のトリで歌った「孤独な詩人」

どんとがハワイで急逝したのは2000年の1月28日、まだ37歳という若さであった。 訃報を聞いた忌野清志郎はレギュラーで書いていた雑誌に、こんな追悼文を寄せてい…

Extra便

ザ・タイマーズ──秘蔵映像に生々しく記録された、熱狂の学園祭ライブ

『ザ・タイマーズ スペシャル・エディション』は、1989年11月に発表されたファースト・アルバム『ザ・タイマーズ』の内容に加えて、未発表音源や秘蔵映像の数々が収…

ミュージックソムリエ

『夢助』に込められた最後のメッセージ~忌野清志郎

忌野清志郎の生前最後のオリジナル・アルバムとなった『夢助』は、2006年5月22日から6月12日にかけて、アメリカのナッシュビルのスタジオでレコーディングされた…

Extra便

「できることなら、この胸を切り裂いて、どんな気持ちで歌を作ったのか、見せてやりたいよ」忌野清志郎

バリー・マクガイアの「明日なき世界」で始まり、ジョン・レノンの「イマジン」で終わる洋楽のカバー・アルバム『COVERS』は、RCサクセションと契約していたレコー…

TAP the LIVE

最後となった「屋根裏」4日間連続ライブから始まったRCサクセションの快進撃

まだ高校生だったRCサクセションが「宝くじは買わない」でデビューを果たしてからちょうど10年が経った1980年、ロック・バンドになったRCサクセションはついにブ…

TAP the STORY

新生RCサクセションを率いる忌野清志郎27歳、 「よォーこそ!」で幕を開けた新時代 

1978年4月2日、忌野清志郎は27歳になった。 高校時代にバンドを結成してから10年を迎えたRCサクセションはその頃、ヒット曲もなければ仕事もないという無作為…

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