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ジャクソン5の「I’ll Be There」が日本で発売された日

2019.12.20

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1970年(昭和45年)12月20日、ジャクソン5の「I’ll Be There」(ビクター)が日本で発売された。
同年の国内ヒットソングといえば…

1位「黒ネコのタンゴ」/皆川おさむ
2位「ドリフのズンドコ節」/ザ・ドリフターズ
3位「圭子の夢は夜ひらく」/藤圭子

大阪万博が開幕し、日本航空機よど号ハイジャック事件発生、空前のボーリングブーム、そして“ウーマン・リブ”(Women’s Liberation の略で女性自身の手による女性解放
運動を意味する)という言葉が流行した年でもある。



この楽曲はジャクソン5の3rdアルバム『Third Album』からのシングルカットで全米No. 1を獲得したヒットソングである。
本国アメリカでは1970年8月28日にモータウンレコードからリリースされた。
マイケル・ジャクソンは、同曲が発売された翌日に12歳を迎えている。
マイケルは自叙伝で「I’ll Be There」についてこんな風に語っている。

「僕らの躍進を決定づけてくれた歌でした。個人的にも特に気に入っている曲の一つです。“君と僕 約束しよう 僕らは助け合う気持ちを取り戻すんだ”という歌詞をどんなに気に入っていることか。デモテープを聴いた瞬間から、僕の心を捕らえてしまったフレーズだったよ。」


1969年、モータウンレコードからのデビューシングル「I Want You Back(帰ってほしいの)」が発売されると6週間で200万枚を売り上げ、ジャクソン5はいきなり全米に名を知られる存在となる。
続いて1970年にリリースされた2ndシングル「ABC」は、ビートルズの「Let It Be」を押し退けて1位を獲得し、たった3週間で200万枚を売り上げる快挙を達成する。
同年6月には3rdシングル「The Love You Save(小さな体験)」も全米1位となり、彼らは押しも押されもせぬ人気者となる。
モータウンの社長ベリー・ゴーディは、ジャクソン5のデビュー前に「君たちのレコードは3曲連続で1位になる」と公言しており、それが実現した形となった。
マイケルは当時のことを鮮明に憶えていた。

「ベリーの約束は本当でした。そして次にリリースした“I’ll Be There”が1位を獲得した時に僕らは確信しました。子供達だけのグループがこんなにヒットを連発したのは、レコード史上初めてのことなんだ!僕達は新しい時代のサウンドを創り出したんだ!」



君と僕 約束しよう
僕らは助け合う気持ちを取り戻すんだ
そこに愛があるならば
僕はそこに駆けつけるよ



アップテンポの3曲で全米No1を獲得したジャクソン5。
当初、モータウンのベリー・ゴーディは彼らがバラード曲を出すことに反対していた。
一方、プロデューサーのハル・デイヴィスは友人のボブ・ウェストの書いたバラードがまれにみる素晴らしい曲だったことから「I’ll Be There」をシングルにしたいと主張。
ハルはベリーを説得するために、まず歌詞の無いインストゥルメンタルを録音して聴かせてメロディーの良さを伝えたという。
ベリーも納得したことからハルは自ら歌詞を書いて楽曲を完成させる。
同曲のクレジットにはボブ・ウエスト、ハル・デイヴィス、ベリー・ゴーディと共にウィリー・ハッチ(モータウン所属のSSW/プロデューサー)の名も入っている。
マイケルは、初めてデモテープを聴いた時のことをこんな風に語っている。

「僕はその曲を聴くまで、ハープシコード(ピアノに似た鍵盤弦楽器)がどんな楽器が知りませんでした。この歌は感謝してもしきれない天才ハル・デイヴィスによってプロデュースされたものでした。レコーディングの際、アシストしてくれたスージー・イケダ(当時モータウン所属の日系女性歌手)が常に寄り添ってくれて、作品にちゃんと感情や感覚、ハートを注ぎ込むことを言い聞かせてくれました。」


同曲がヒットした直後から、ジャクソン5は大規模なツアーを行うこととなる。
ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン、ロサンゼルス・フォーラムといったアリーナクラスの会場は“新しい時代のスター”を一目見ようと集まった観客で埋め尽くされたという。




引用元・参考文献『ムーンウォーク マイケル・ジャクソン自伝』マイケル・ジャクソン(著)田中康夫 (翻訳)/河出書房新社>

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