1118_900x450

TAP the DAY

ブルース・スプリングスティーンのロンドン初ライブを客席で観ていた若き日のジョー・ストラマー

2017.01.15

Pocket
LINEで送る

地道なライブを積み重ねることで一部の音楽ファンの間で、少しづつ評判が高まっていたブルース・スプリングスティーンが、朋友のE・ストリートバンドとともに作り上げた3枚目のアルバム『明日なき暴走(Born To Run)』は、1975年の8月25日にリリースされた。

レコード会社やマネージャーによってボブ・ディランのフォロワーのように売り出された経緯もあって、それまでのブルースは今ひとつパッとしないシンガー・ソングライターと見做されていた。
しかし”ロックンロールの未来”という秀逸なるキャッチフレーズを得て、ブルースはここから躍進していくことになる。

born-to-runブルース・スプリングスティーン ボーン・トゥ・ラン

「これでダメだったら次はもうない」という気持ちが込められていたアルバムは、ゴールド・ディスクを獲得して高い評価を得た。
そしてブルースはタイム誌とニューズウィーク誌の表紙を同時に飾り、時の人になったのである。

1975年11月18日、イギリスにおけるブルース・スプリングスティーン初のライブ・ツアーは、ハマースミス・アンド・フラム・ロンドン特別区にあった劇場、ハマースミス・オデオンで最終日を迎えていた。

ライブは印象的なピアノのイントロが暗闇の中から静かに聞こえて、そこにハーモニカが重なるというアレンジの「涙のサンダー・ロード」から始まった。


当時のブルースは26歳、痩せて精悍な顔をした若者の小柄な身体の奥底からは、マグマがとめどなく噴出してくるようだった。

そのエネルギッシュなパフォーマンスは、E・ストリートバンドとともに観客を圧倒した。
時には熱く、時にはクールに、両者は最後まで走りぬけて、ロンドンっ子は心をわしづかみにされた。

その日の歴史的なライブを観ていた観客の一人に、ウディ・ガスリーのレコードを聴いた影響で、“ウッディ・メラー”と名乗っている23歳の若者がいた。

長時間に及ぶエネルギッシュなステージ、物語的に綴られていく歌詞、ストレートなロックンロールに触発された若者は、さっそくブルースと同じテレキャスターを手に入れることにした。

翌年の夏、その若者はザ・クラッシュを結成する。
そこから彼は自分のことを、ジョー・ストラマーと名乗ることになるのである。

ブルースのロックンロールは啓示となってジョーのバンド、クラッシュに受け継がれたのだった。


それから30数年の月日が流れて2002年12月22日、ジョーは先天性の心臓疾患のために50歳で夭逝する。
その追悼­特別ライヴが2003年の2月、グラミー賞授賞式の場で行われた。

演奏されたのはクラッシュの代表曲、パンクの代名詞ともなった「ロンドン・コーリング」である。
ヴォーカルを受け持ったのは­エルヴィス・コステロ、ブルース・スプリングスティーン、E ストリートバンドのスティーヴ・ヴァン・ザント、デイヴ・グロール(元ニルヴァーナ、現フー・ファイターズ)の4人だった。




(詳しくはTAP the LIVE『グラミーの舞台でジョー・ストラマーに捧げられた「ロンドン・コーリング」』をお読みください)

なお本コラムは2013年11月18日に公開されたものを、改題して加筆しました。

Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク

関連アーティスト

関連するコラム

[TAP the DAY]の最新コラム

このコラムへの感想・コメントを書く

Pagetop ↑