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ヘディ・ウエストを偲んで〜その足跡と名曲「500 Miles」の源流を辿る旅

2018.07.03

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2005年7月3日、名曲「500 Miles(500マイルも離れて)」で知られるアメリカの歌手ヘディ・ウエストが闘病の末に癌で亡くなった。享年67だった。
今日は女性フォーク歌手の草分け的存在だった彼女を偲んで…その足跡と名曲にまつわるエピソードをご紹介します。


1938年4月6日、ジョージア州ギルマー郡で生まれた彼女は4歳でピアノを始め、ハイスクール時代にはバンジョーを弾き、作曲をしていたという。
12歳頃から地元のフォーク系イベント(Asheville Annual Folk FestivalやMountain Youth Jamboree等)に出場し、大人達を驚かせていたという。
1959年、21歳になった彼女は単身でニューヨークに渡り、マネス音楽院で音楽を学び、さらにコロンビア大学で演劇の勉強に勤しんだという。
在学中にシカゴやニューヨークのコーヒーハウスで歌うようになり、詩人だった父親の友人ピート・シーガーにその才能を見出される。
卒業後にはジョーン・バエズなども在籍していたVanguard Recordsと契約を結ぶ。
1961年、23歳になった彼女は1stアルバム『HEDY WEST』を発表。
その記念すべきデビュー作に収録されたのがこの「500 Miles(500マイルも離れて)」だった。
それは彼女が幼少時に祖母から習った曲で、ジョージア州で古くから歌われてきた伝承曲とされている。
心に沁み入るよいなそのメロディーは、“ホーボー”と呼ばれた放浪者たちが口々に歌い継いできたものだった。
アメリカが大不況時代を迎えていた頃、ホーボーたちは街から街へと出稼ぎをしながら食いつないでいた。
当然、車など買えるはずもなく、汽車での移動が主だった。
彼らはお金がないので、無賃乗車があたりまえだったという。
ひとたび故郷を後にすれば、帰ってくることはかなり難しい時代。
この曲の歌詞には、そういった惜別や故郷への哀愁が綴られている。

もしも君が僕の乗る汽車に間に合わなかったら
僕が遠い旅路についたことを知るだろう
僕を乗せた汽車の汽笛は100マイルも先から君の耳に届く…
100マイル、200マイル、300マイル、400マイルそして500マイル
僕は懐かしい故郷を後にして遠い彼方へ去っていく

もうシャツ1枚さえ持っていない
自由に使える小銭もない
これじゃもう故郷に帰れない
とてもこんなありさまでは…
こんなことでは帰れそうもないよ
とてもこんなありさまでは…


一般的に作詞作曲のクレジットはヘディ・ウエストとされているが、元が伝承曲ということもあり、時代や歌い手によって表記も歌詞の内容も異なる。
日本で馴染みが深いのは1962年に発表されたピーター・ポール&マリーのアルバム『Peter, Paul and Mary』(全米アルバムチャートで1位)のバージョンだろう。


さらに曲のルーツを辿って行くと…アメリカ民謡の『900 Miles』という曲に辿り着く。
ボブ・ディランに多大な影響を与えたシンガーソングライターで、プロテストソング(政治的抗議メッセージを含む歌の総称)の源流となった男ウディ・ガスリーがレパートリーにしていた古い楽曲である。
1950年代以降に出現したアメリカのフォークシンガーたちは、ほとんど例外なく彼に影響されていると言っても過言ではないだろう。
彼を起点として→ボブ・ディラン→ブルース・スプリングスティーンと太い動脈のような系譜が繋がる。


おいらが今乗っているのは100両連結の長い汽車
100マイル先まで汽笛が響く

もしもこの汽車が遅れなければ
明日の夜には家に着く
ふるさと離れて900 マイル
淋しい汽笛が胸をつく

線路の上を歩いてみる
涙が溢れてくるけれど
家からの手紙を読んでいる

もしもこの汽車が遅れなければ                 
土曜の夜には女房に逢える
ふるさと離れて900 マイル
淋しい汽笛が胸をつく





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