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60年代のフォークリバイバルのムーブメントを牽引したPP&Mの紅一点マリー・トラヴァースを偲んで

2021.09.16

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2009年9月16日、アメリカの伝説的フォークグループ、ピーター・ポール&マリーのマリー・トラヴァース(享年72)が、コネチカット州のダンベリー病院で亡くなった。
死因は白血病治療の化学療法が引き起こした合併症と発表された。
グループのメンバーだったピーター・ヤローはこんなコメントでその死を悼んだ。

「彼女は悪化する健康状態に想像しうる限り最も勇気ある寛大な方法で対処した。」


続けて、ポール・ストーキーもコメントを残した。

「カリスマ性のある女性で、活動家として勇敢で積極的で人々を奮い立たせた。60年代当時の彼女は抑えることのできない苛立ちのエネルギーに溢れていた。」


1937年11月9日、彼女はケンタッキー州ルイヴィルで生まれる。
両親は共に新聞記者で、彼女が幼い頃に一家はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに移り住む。

「両親がジャーナリストだったこともあって、私はとても言葉が好きなのよ。」


小学校に通うようになった彼女は、ワシントン広場周辺で演奏していたミュージシャンたちに興味を持ち始める。

「私の周りはいつも賑やかで、フォークミュージックが好きな人たちでいっぱいだったわ。若い人たちの誰もがウディー・ガスリーやピート・シーガーを聴いていた時代だった。」


14歳になった彼女は、ピート・シーガー率いる“ソング・スワッパーズ”という子供だけのコーラスグループに参加する。
その後、ニューヨーク演劇学校へ入学し女優を目指した時期もあったが、フォークソングを歌うことが大好きだった彼女は、いつの間にかグリニッジ・ビレッジのコーヒーハウスで歌うようになっていったという。
1960年代になって間もない頃、彼女はニューヨークのグリニッジ・ビレッジにあった“コモンズ”というコーヒーハウスでポールと知り合い、当時ボブ・ディランのマネージャーだったアルバート・グロスマンの紹介でピーターと出会う。
アルバートは当時のことを鮮明に憶えているという。

「私は当時無名だったピーター・ヤローのマネージメントをしており、彼のためにキングストン・トリオのような女性を含めたフォークグループを作りたいと思っていました。コモンズの壁に貼ってあったメリーの写真を見て連絡を取ったのがすべての始まりでした。」


1961年の春、ニューヨークを中心に巻き起こっていたフォークリバイバルのムーブメントの中、3人はピーター・ポール&マリー(PP&M)を結成する。
当時の音楽ファンたちは「モダンフォークの先駆者ピート・シーガー率いるザ・ウィーヴァーズを凌ぐ強力なコーラストリオだ!」と、PP&M誕生を大いに歓迎したという。
彼らの評判はあっという間にレコード会社(ワーナー・ブラザース)のディレクターの耳に届き、三人は翌1962年4月にシングル「Lemon Tree」でデビューを果たす。


翌月リリースされた1stアルバム『Peter, Paul and Mary』は、たちまち大ヒットを記録。
2ヶ月後の7月には、彼らの憧れでもあったピート・シーガーの「If I Had a Hammer(天使のハンマー)」をカヴァーし、ビルボードチャートでトップ10入りを果たす。
その後も「Where Have All the Flowers Gone?(花はどこへ行った)」や「500 Miles」、「Puff the Magic Dragon(パフ)」やボブ・ディランの「Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)」など、カヴァー曲、オリジナル曲を問わず多数のヒットを生み出し、彼らはフォークブームを牽引する存在となっていった…




【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

【TAP the POP佐々木モトアキ執筆記事】
http://www.tapthepop.net/author/sasaki


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