
1955年にシーガーが作詞作曲したもので、ロシアの作家ミハイル・ショーロホフの小説『静かなドン』で引用されているコサック民謡の歌詞にヒントを得た。
当時、シーガーはこの部分を読んで心を動かされ、飛行機の中で20分ほどで曲を書き上げた。コサック民謡を下敷きにしたその歌詞は当初3番までしかなかった。
シーガーは1960年に発表した自身のアルバム『Rainbow Quest』に収録したメドレーの中で、この歌を初めて録音する。それからしばらくの間、シーガーはこの歌のことを忘れていた。
そのまま埋もれてしまう運命だったこの歌は、ジョー・ヒッカーソンという男によって新たな命を吹き込まれることとなる。アメリカの民族音楽研究家・収集家で作詞家でもあったヒッカーソンは、この歌と出会ったとき、不思議な魅力と共に、何か物足りなさを感じた。
「歌詞が3番までで終わってしまうのはもったいない。その先の物語を少し書き足してみたい。」
ヒッカーソンは、花→少女→若者→兵士→墓地→花というように、花で始まり一回りして花に戻って終わるような歌詞を書き加えた。書き加えられた歌詞を読んだシーガーもその出来映えを気に入り、ヒッカーソンを“共作者”として認めて1961年に著作権を登録し直した。
同曲はその後、キングストン・トリオやピーター・ポール&マリー歌唱によってヒットする。

「多くの人が自分たちにできることを少しずつ考えて世界は形成されていくんだ。」
それは、シーガーが思い描いていた“理想の世界”なのかもしれない…。
<引用元・参考文献『国境を越えて愛されたうた』竹村淳著/彩流社>








