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ボビー・チャールズを偲んで〜ウッドストックの地に本物の南部音楽を伝え、多くのミュージシャン達に大きな影響を与えた男の功績と軌跡

2019.01.14

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2010年1月14日、ウッドストックの音楽シーンにおいて重要な役割を担ったシンガーソングライター、ボビー・チャールズ(享年71)が、ルイジアナ州アブヴィルの自宅で倒れ死去した。
直接の死因は明らかになっていないが、晩年の彼は糖尿病など健康上の問題を抱えており、腎臓癌の治療中だったという。
1938年、ルイジアナ州アブヴィルで生まれた彼は、17歳の時に白人アーティストとして初めてブルース/R&Bの名門レーベルであるチェスと契約。
ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツによるカヴァーでも有名な「See You Later, Alligator」などの名曲を生み出し、スワンプロックの発展に大きな功績を残した。




チェス時代の彼は、歌手として売れることはなく…テネシー州ナッシュビルの大きなラジオ局WLACの深夜のDJ、ジョン・Rの下で“雇われソングライター”として作品を生み出してゆく。
彼の書いた曲は、後にファッツ・ドミノやドクター・ジョン、レイ・チャールズなど数多くのアーティストに取り上げられることとなる。
また彼は、ライヴ活動を極度に嫌っていたミュージシャンとしても知られる。
1970年代初頭、ニューオリンズ音楽シーンの衰退とともに彼はニューヨーク州郊外のウッドストックへ移り住む。
その頃のウッドストックと言えば、あの伝説のロックフェス“Woodstock Music and Art Festival”の後、ボブ・ディランやザ・バンドなど多くの著名なミュージシャンが集まっていた。
そんな環境の中で、彼はザ・バンドのメンバーと交流を深めてゆく。
当時、ザ・バンドはボブ・ディランと共にアメリカ南部の音楽に傾倒し始め、南部出身で頭角を現してきたアラン・トゥーサンと出会うこととなる。
そして、アランを介してザ・バンドと彼は繋がり、一枚の名盤を生み出す。
1972年、彼はザ・バンドのメンバーやドクター・ジョン、デヴィッド・サンボーンら錚々たるミュージシャンをサポートに迎えて自身初のソロ名義アルバム『Bobby Charles』を発表。


その後、1976年に行なわれたザ・バンドの解散コンサート“ラスト・ワルツ”にも参加するなど、ウッドストックの音楽シーンにおいて重要な役割を担った。
1978年にはリヴォン・ヘルムのRCOオールスターズの一員として来日。
その後、また暫く空白期となるが、1987年に久々の新作Clean Waterをリリース。
1990年代には、カナダのストーニー・プレインより2枚のアルバムをリリースするなど、マイペースながら活動を続けている。
一方で、ライブ活動からは一層遠ざかるようになり、2004年には、ポンデロサ・ストンプ、2007年にはニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルへの出演がそれぞれ決まっていたにも関わらず、いずれも出演を取りやめている。
2008年、ドクター・ジョンのアルバム『City That Care Forgot』では5曲を共作している。


ウッドストックの地に本物の南部音楽を伝え、多くのミュージシャン達に大きな影響を与えた彼がウッドストックに滞在したのは、実はわずか2年程の期間だったという…

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