「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the DAY

ルイ・プリマを偲んで〜スウィングジャズの代名詞「Sing Sing Sing」を生んだ稀代のエンターテイナー

2019.08.24

Pocket
LINEで送る

1978年8月24日、スウィングジャズのパイオニア的存在だったルイ・プリマ(享年67)がニューオーリンズの病院のベッドで息を引き取った。
亡くなる3年前に脳腫瘍の摘出手術を受けた彼だったが、術後も快方には向かわず、植物人間状態に陥り…最終的には肺炎を悪化させたことが死因だったという。

スウィングジャズには「王様」と呼ばれた二人の男がいた。
一人はクラリネット奏者でありビッグバンドを率いたベニー・グッドマン。
もう一人はトランペッターでありヴォーカリスト、そして作曲家として活躍したルイ・プリマ。
スウィングジャズの代名詞とも言われ、ベニー・グッドマンのレパートリーとしても広く知られる「Sing, Sing, Sing」は、彼の手によって書かれた楽曲なのだ。


この「Sing, Sing, Sing」は、ニューオーリンズ・ ギャング(ルイ・プリマのバンド)の演奏よって1936年2月28日にブランズウィック・レコードから発表されたのが初出である。
ブランズウィック・レコードと言えば、創業された1920年代に電気蓄音機を開発したレコードレーベルで、もともとボウリングなどの娯楽商品を扱うメーカーだったという。
レコードがまだSP盤の時代から音楽事業に参入しており、デッカ(後のMCA)の配給を得てビング・クロスビーなどのトップスターを輩出した名門レーベルとしても知られている。
同曲のヒットによって、彼の人生は大きな転機を迎えることとなる。



1910年12月7日、彼はルイジアナ州ニューオーリンズで生まれる。
両親はイタリアのシチリア出身の移民で、母親はクラブ歌手だった。
親の勧めで7歳の時からヴァイオリンを学んでいたが、当時本人は野球好きの少年だったため、あまり練習に身が入らなかったという。
生まれ育った場所がニューオーリンズだったため、彼は日常の中でジャズに親しむようになり、13歳の時にはトランペットを手にして兄のバンドで演奏するようになる。
23歳の時には自身のバンド、ニューオーリンズ・ギャングを結成。
1934年にはニューヨークに行き、耳の肥えたジャズファンが集まるクラブで定期的にステージ活動を始める。
1936年、25歳の時に自身が作曲した「Sing, Sing, Sing」がヒットする。
これを転機に彼は一躍人気者となり、多くのファンを魅了するようになる。
同郷出身で9歳年上だったルイ・アームストロングからトランペットのテクニックやスキャット歌唱を学び、ジャンプブルースやR&Bを貪欲に取り入れ、さらにイタリア人のノリの良さを加えた大胆なパフォーマンスで華々しいキャリアを重ねてゆく。
1948年、彼は当時まだ12歳だったキーリー・スミスの歌声に惚れ込み自分のバンドの専属歌手にスカウトする。
そして1952年、彼は16歳になったキーリーと結婚をする。
その後、キーリーとはデュオ活動も行うようになる。
当時41歳の彼にとって4度目の結婚だったが…1961年に離婚。



1950年代にはラスベガスのジョーで成功を納め、1960年代にはディズニー映画『ジャングル・ブック』の声優(オランウータン役)に抜擢されるなど、彼は一流のエンターテイナーとして活躍の場を広げてゆく。
また、1985年にデヴィッド・リー・ロスが「Just A Gigolo / I Ain’t Got Nobody」をオリジナルバージョンに忠実にカヴァーしたことで彼に再び脚光を集る。
近年では「Jump, Jive and Wail」をブライアン・セッツァー・オーケストラがカヴァーしたことで、幅広い層の音楽ファンに彼の魅力と功績が再評価された。





Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the DAY]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ