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季節(いま)の歌

仰げば尊し〜昭和世代の“大定番”卒業ソングのルーツを辿る

2021.04.26

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今では世代によって卒業ソングも様々でしょうが…40代以上の人達に「卒業式に唄った曲は?」と問えば、大多数がこの「仰げば尊し」をあげるのではないだろうか?
今日はこの(明治〜昭和世代の)卒業ソングとして大定番として知られる「仰げば尊し」の誕生エピソードをご紹介します。
まず、日本においてこの歌が初めて唄われたのは、今から130年以上も前にさかのぼる1884年(明治17年)。
その年に発刊された『小学唱歌集第三編』での紹介が初出だったという記録が残っている。
当時の日本といえば、まだ音楽教育制度が十分でなかった時代。
欧米諸国から大きく遅れを取っていたこともあり、日本政府はアメリカのボストンから音楽教育者として実績のあったルーサー・ホワイティング・メーソンを招聘する。
メーソンの指導の下、西洋音楽の中から日本人に親しみやすい曲を選び、そのメロディーに日本語の歌詞を付けて、音楽教育(唱歌)の教材としたのだ。
現在でも唱歌として親しまれている「ちょうちょう」や「ふじの山」と共に、この「仰げば尊し」も明治時代に生まれた歌の一つだった。
この歌はこれまで映画やドラマでも数多く用いられており、特に木下恵介監督の名作『二十四の瞳』(高峰秀子主演/1954年公開)で生徒達が唄うシーンは、日本の映画史に残る名場面と言われている。


研究者の間でも長い間“作者不詳”とされてきたこの「仰げば尊し」。
その起源を辿ると…古いスコットランド民謡説や、前出の『小学唱歌集』を編纂した人物でもある伊沢修二(近代日本の音楽教育の第一人者)が作ったという説などがあったが、いずれも決定的な証拠がなかった。
しかし2011年1月に「仰げば尊し」の原曲が発見されるニュースが流れ、それまでの謎が解明されることとなる。
1871年にアメリカで出版された楽譜(音楽教材)に収録されていた「Song for the Close of School」という楽曲のメロディーと歌詞の内容を聴けば誰もがうなずくことだろう。



歌詞の内容は「仰げば尊し」と共通点も多く、かなり原曲をふまえた訳詞がなされていたと言えるだろう。
これを突き止めたのは、一橋大学で英語学・英米民謡、歌謡論などを専門に教えていた名誉教授・桜井雅人(当時67歳)だった。
この音楽教材(The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle)には基本的に初出の歌曲のみが掲載されていたことから、今回の発見・推測が一番真実に近いとされている。(これ以外の収録歌集は現在知られていない)
楽譜には「Song for the Close of School」の作曲者としてH. N. D.、作詞者T. H. ブロスナンと記載されている。
作詞者のブロスナンは、その後保険業界で活躍したことが知られているが、作曲者のH.N.D.についてはどのような人物であったかは定かではない。



──長きに渡って愛唱され続けてきたこの「仰げば尊し」も、現在ではあまり歌われなくなったという。
「教師への恩を強制するけしからん歌だ!」などの反対意見やクレームがまかりとおり、一時期は各学校の卒業式から消えてしまったのだ。
最近は(地域によっては)復活しつつあるらしいが…色んな意味で“窮屈”な世の中になってきているのは確かなようだ。



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