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ぼくたちの失敗・森田童子〜引退から10年後に突如として注目を集めた謎のカリスマ歌手の正体と消息〜

2016.10.02

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春の木漏れ日の中で
君の優しさに埋もれていた僕は
弱虫だったんだよね

君と話し疲れていつか黙り込んだ
ストーブ代わりの電熱器赤く燃えていた

地下のジャズ喫茶
変われない僕たちがいた
悪い夢のように時が撫ぜていく

僕が独りになった部屋に
君の好きなチャーリーパーカー見つけたよ
僕を忘れたのかな

ダメになった僕を見て
君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい
昔の話だね

春の木漏れ日の中で
君の優しさに埋もれていた僕は
弱虫だったんだよね



森田童子。
彼女は、人前ではサングラスを決して外さなかったといわれている。
本名も素顔もすべて謎のアーティストである。
公表しているパーソナルデータといえば…1952年1月15日に東京都で生まれたということくらいだ。
1970年代の中頃…音楽ファンの一部からはカリスマ的な存在として注目も浴びていたが、本人がメジャーな展開を望んでいなかったこともあり、メディアなどで表立って紹介されることもなかったという。
活動当時にはさほどヒットを飛ばすこともなく1983年に引退。
そして10年の歳月が流れる…。

この「ぼくたちの失敗」は、1993年にヒットしたTVドラマ『高校教師』の主題歌に起用され、突如としてヒットチャートに躍り出ることとなった。
真田広之と桜井幸子の主演によって、教師と生徒の愛という禁断のテーマが描かれた物語は、野島伸司がTBSで初めて連続ドラマの脚本を手掛け、最終回に33%という高視聴率を記録。
楽曲のヒットと共に、すでに引退を表明していた森田童子にも世間の関心は高まる。
そのケースは、通常の“リバイバル”とは意味合いが違っていた。
現役時代において、そもそもヒットらしいヒットもなく“知る人ぞ知る”伝説のフォークシンガーだった彼女。
デビューしたのは、さかのぼること18年…1975年だった。
“しらけ世代”と呼ばれる当時の風潮の中で、真正面から“青春”を歌う彼女の歌は、ある意味衝撃的でもあり、若者たちの間に浸透していったという。
ボサボサのヘアースタイル、素顔を隠す大きなサングラス、無表情のまま囁くように歌う歌唱…そんな個性的なアーティストの出現に、周囲はある種のカリスマ性を感じていた。
彼女は1968年〜70年初頭に起きた学生運動・安保闘争の時代に高校生活を送っていた。
彼女のクラスメイトや幼馴染みも、この闘争に巻き込まれていったという。
そんな悲しく、やり場のない怒りに満ちた時代に彼女が耳にしたのが、サイモン&ガーファンクルやアル・スチュアートのメロディーだった。
そんな音楽との出会いと同時期に、彼女は高校を中退する。
ほどなくして彼女は友達の一人が亡くなったことを一枚の葉書で知らされる。
その死因が闘争に巻き込まれてのものだったのか、病気や事故だったのかははっきりとされていないのだが…彼女はその友達の死をきっかけに、歌い始めたのだという。
彼女の作る歌には痛々しいまでの思春期の感情が描かれていた。

TVドラマ『高校教師』のプロデューサーだった伊藤一尋は、当時“異例”とも言われた楽曲の起用についてこんな風に語っている。

「当時は、いかにも“歌を売らんかな”という状況があって、それが嫌だったんです。そんな時、脚本を担当した野島伸司君と学生時代に何をしていたか?という話になって、「森田童子を聴いていた」という共通項が見つかったんです。二人とも単純に彼女の歌が好きだったから…という理由で主題歌を彼女の曲しようと決めたんです。その中でもドラマの内容に則した透明感のある楽曲ということで、この歌を選んだんです。」

この曲のヒット後、彼女はかたくなに沈黙を貫いていたという。
本人はこの騒ぎに対し「現在は主婦業に専念しており、音楽活動を再開する気は全くない」とだけ発言し、以降は一切の発言を拒んだという。
ある記者が、彼女の消息を知る人を介して、その“沈黙の真意”を問う対話がしたいと打診してもらったらしいが…とても親しかった人との唐突な死別と、自らの病で「手紙すら書けないほど憔悴している」という返答があっただけだという。
謎めいたまま…危ういバランスで繋ぎとめられている世界が、まだそこにあったのだ。


<参考文献『J-POP名曲事典300曲』/富澤 一誠(ヤマハミュージックメディア)>
<参考文献『うたの旅人』/朝日新聞・1990年>


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