「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

いつの日にか、いつの日にか、自由に歌えるさ~アイ・シャル・ビー・リリースト

2019.08.15

Pocket
LINEで送る

2014年4月19日に東京のシネスイッチ銀座で公開された映画『チョコレートドーナツ(原題・ANY DAY NOW)』は、連日満席のヒットとなって評判が口コミで伝わり、拡大公開が決まって最終的には日本全国100館を超える劇場で上映された。

同性愛や障害者たちマイノリティへの偏見と差別をテーマとするこの映画で、主人公を演じるアラン・カミングはシンガーになる夢を追いながらも、ショーダンサーとしてままならぬ日々を暮らすという役どころだ。

物語のラストで失意のアランが歌うロック・スタンダード「I Shall Be Released(アイ・シャル・ビー・リリースト)」の歌詞からは、 映画のタイトルにもなった“Any Day Now” というフレーズが繰り返される。

俺は自分の後光がやって来るのが見える  
西の方から東の方向に
今、もう今にでも
おれは解放される




そこからさかのぼること四半世紀前、“Any Day Now”を“いつの日にか” という日本語で、同じ曲に託して己れの無念を歌ったのは、RCサクセションの忌野清志郎である。

広島に原子爆弾が投下された1988年の8月6日にリリースされるはずだったアルバム『COVERS』が、反核と反原発のメッセージが歌われていることを理由に、レコード会社の東芝EMIが親会社の東芝に忖度して発売中止の判断を下したのは6月のことだ。

そこから起こった混乱や騒動がおさまらない中で、FMの番組に出演した忌野清志郎の生歌がラジオから流れた。
日本語の歌詞からは自分の置かれた状況と、当時の複雑な心情が伝わってきた。




オリジナルを作詞・作曲したボブ・ディランは、交通事故で重傷を負って休養していた1967年の秋、ニューヨーク郊外のウッドストックにあった「ビッグ・ピンク」と呼ばれる家で、リハーサル・セッションを繰り返していた。

ディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト」はそのときに、ザ・ホークスと一緒にレコーディングされたのだが、なぜか公式にはリリースされなかった。
まもなくしてザ・ホークスは、ザ・バンドとしてデビューすることになる。

1968年の夏に発表されたファースト・アルバムの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』は、ロック・クラシックとして今ではきわめて高い評価を得ている。

ジャケットの表紙の絵を描いたのは、ディランだった。

The+Band+-+Music+From+Big+Pink+-+LP+RECORD-501583ビッグピンク


記念すべきザ・バンドのアルバムで最後を飾ったのは、「アイ・シャル・ビー・リリースト」であった。そして得も言われぬ悲しみを漂わせるリチャード・マニュエルの、ファルセットを活かしたヴォーカルで世に知れ渡っていった。

それによって数多くのカヴァーが、世界中で出てスタンダード曲になっている。

ザ・バンドが解散することが決まって開催された最後のライブは、マーティン・スコセッシ監督によって、1976年にドキュメンタリー映画『ラスト・ワルツ』として作品化された。

そのフィナーレでディランとマニュエルのツイン・ボーカルによって、「アイ・シャル・ビー・リリースト」が唄われた。
そこに出演者が全員でコーラスで加わって、大団円を迎えたのである。

ディランを中心に、クラプトンからニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ヴァン・モリソン、ドクター・ジョン、リンゴ・スター、ロン・ウッド、ボビー・チャールズ、ロニー・ホーキンズ、ポール・バターフィールド、ニール・ダイアモンド、そしてマディ・ウォーターズまでが揃ったパフォーマンスは、映画に残されたことでロック界の伝説となった。




(注)本コラムは2014年8月15日に公開されました。

<合わせてこちらもお読み下さい>

・反原発ソングとして日本に蘇った「Love Me Tender ( やさしく愛して)」

・TAP the SONG 日本でスタンダードになった、日本語のデイドリーム・ビリーバー

・TAP the STORY 失われた数年間〜エリック・クラプトン



RC SUCCESSION『カバーズ』
USMジャパン

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the SONG]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ