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割腹して自決を遂げた日に三島由紀夫がうたった高倉健の「唐獅子牡丹」

2015.11.25

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三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地において、憲法改正のために自衛隊の決起を呼びかけた後、覚悟の自決を遂げたのは1970年11月25日のことだ。

何ごとにも几帳面だった三島由紀夫が事前に立てた計画は、小説や戯曲と同様に細部まで神経が行き届いていた。
およそ一年をかけて身辺をきれいに整理し、約束していた執筆や対談などの仕事を順に片付けた。

仕事知人たちとの約束をひとつづつ果たしながら、主だった友人たちにはさりげなく会って、それとなく別れを告げている。
前日の夜はアメリカの翻訳者であるドナルド・キーンとH・Sストークスに宛てて、最後の所感と死後の指示書を手紙で送って段取りを整えた。
 

君なら僕がやろうとしていることを十分理解してくれると思う。
だから何も言わない。
僕はずっと前から、文人としてではなく武人として死にたいと思っていた。
(ドナルド・キーンに当てた三島由紀夫の手紙)


三島由紀夫とドナルド・キーンさん
(左・芥川比呂志 中央・三島由紀夫 右・ドナルド・キーン 1962年3月 舞台『黒蜥蜴』の楽屋にて)

万事に律儀だった三島由紀夫は、原稿の締め切りを守らないことのない人だったという。
遺作となった「豊饒の海」第四部の最終稿も、当日の朝に長篇の結びを書き終えている。
そして期日どおり出版社に渡るようにと、自ら担当者に電話をかけて自宅に取りに来るように伝えた。

軍刀と二振りの短刀を収めたアタッシュ・ケースなど、必要な品々を携えて楯の会の同士四人で自宅を車で出発したのは午前10時過ぎだった。
それから環状七号線に出て第二京浜に入り、品川から中原街道を経て、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に向かった。

荏原ランプから首都高速道路に入ると、飯倉ランプで降りて赤坂、青山から神宮外苑に出た。
だが時間が早すぎたので、そこを二周することになった。

そのときに三島由紀夫が車内でこういった。

「これがヤクザ映画なら、ここで義理と人情の『唐獅子牡丹』といった音楽がかかるのだが、おれたちは意外に明るいなあ」


一人でうたいはじめた三島由紀夫に合わせて、四人の声も車内に響いた。

  義理と人情を 秤にかけりゃ
  義理が重たい 男の世界
  幼なじみの 観音様にゃ
  俺の心は お見通し
  背中で吠えてる 唐獅子牡丹

  親の意見を 承知ですねて
  曲がりくねった 六区の風よ
  つもり重ねた 不孝のかずを
  なんと詫びよか おふくろに
  背中で泣いてる 唐獅子牡丹


日陰者の地位に置かれていたヤクザ映画は当時、映画専門誌はともかく一般の新聞や雑誌においては、批評の対象にされていなかった。
ところがそうした映画の中にも新しい才能の芽生えがあり、本当に個性的な作品が生まれていることを三島由紀夫は高く評価した。

制約の多い悪条件の中であきらめずに作家的な表現を追求する監督やスタッフ、俳優たちの仕事に光を当てたのが三島由紀夫だった。

憂国

三島由紀夫は二・二六事件の外伝的な内容の短編小説を自らが脚色・主演・監督した無声映画、『憂国』で軍刀を持って切腹自殺するシーンを描いたことがある。

そこで全編に流れていた音楽はワグナーの「トリスタンとイゾルデ」、レオポルド・ストコフスキーが指揮するフィラディルフィア管弦楽団のレコードだ。
愛と死の悲劇にふさわしい具体的な形を与えた音楽は、観客が『憂国』に込められてメッセージを受けとめるのに貢献した。

しかし現実に自死を決行する前に、三島由紀夫が口ずさんだのは「唐獅子牡丹」だった。

午前11時には面会を申し込んでいた東部方面総監、益田兼利陸将の部屋に来客として通された三島由紀夫と若い部下たちは、打合わせておいた合図にしたがってすばやく総監を縛りあげると、部屋の入口を机や椅子などでバリケード封鎖した。

総監室の異変を感じて集まってきた幕僚らに、ドアの隙間から四つの要求を書いた紙が渡された。
その要求が入れられなければ、総監を殺して自分も切腹するとあった。

市ヶ谷駐屯地の全隊員が正午前に中庭に集められた。
総監室の外にあるバルコニーに姿を現わした三島由紀夫は、定刻の正午になるのを待ってマイクも持たずに、力を込めた身ぶりをまじえつつ肉声で演説を始めた。

それは真の「国軍」として自衛隊員は目覚めて、決起に参加せよという訴えだった。

しかし、集まった自衛隊員たちは話をまともに聞こうともせず、野次と冷笑が浴びせられる。
事件を知って増えてくる報道機関のヘリコプターが上空を旋回し、その爆音で演説の声はすっかりかき消されてしまった。
報道陣が次々に到着して写真が撮影され、録音機を回して生中継の番組が始まった。

予定していた30分の演説をわずか7分強で切り上げて、三島由紀夫は部屋に戻ると覚悟の割腹で自刃した。

12時30分過ぎにはテレビとラジオがいっせいに事件を報道し、衝撃のニュースは瞬時に全世界へと配信されていった。



参考図書/松本徹編著「年表・作家読本 三島由紀夫」河出書房新社

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