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ローリング・ストーンズがビートルズから曲を提供してもらった「彼氏になりたい」

2016.06.07

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1963年6月7日に発売されたローリング・ストーンズの1stシングル「カム・オン」は、チャック・ベリーのカヴァーだ。
これをデビュー曲に選んだのは、バンドではなくマネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムである。

3月にロンドンのクラブでブルースを演奏していたストーンズを見たアンドリューは、すぐに楽屋に行ってマネージャーをやりたいと申し出た。
前年の10月にデビューしたビートルズのスタッフとして、パブリシストを担当していたアンドリューはまだ19歳だったが、口が達者でメディアの利用にかけては天才的なものを持っていた。

アンドリューは出会ってすぐにストーンズをスタジオに連れて行くと、キャッチーだと判断した「カム・オン」をレコーディングする。
そのテープを聴かせて大手レコード会社のデッカとの契約を取り付けると、5月には正式にバンドのマネージャーに就任した。

だが「カム・オン」がデビュー曲に決まっても、ストーンズのメンバーはやや複雑だった。
キースがこんな回想をしている。

あれはただレコード用にプレイした曲だ。
二度と聞きたいとは思わないね。
アンドリューのアイデアだった。
強力なシングルを放てば会社はアルバムを出してくれるだろうってね。
当時アルバムを出すのは、限られた人間だけに与えられる名誉だったのさ。


R&Bとブルースに心粋する音楽マニアではあったが、メンバーたちはレコードを出すことも、ロンドン以外で演奏することも、現実問題としてまだ考えたことがなかった。

大学生だったミックは政府から奨学金をもらって、それでブライアン・ジョーンズとキース・リチャーズが一緒に住んでいた部屋の家賃を払っていたのだ。

キースはこんな感想も述べている。

うん、最初のシングルを出した時の、あの後悔と落胆が入り混じった何とも言えない気持ち、あれはいまだによく覚えているなぁ。
と言うのはさ、当時のパターンとしてはレコード1枚出したら最後、それからきっかり2年で必ずバンドは寿命を迎えたものだったんだ。
それだけ、当時はレコードを出すって事が凄まじい意味を持っていたんだよな。


アンドリューはストーンズをビートルズのような人気者にすべく、マネージャーとして全力をあげた。
ラジオやテレビへの出演と、メンバーにとってアイドルだったボ・ディドリーのオープニング・アクトの仕事を取ってきた。

しかし「カム・オン」は期待したほどには、ヒット・チャートを上昇してはくれなかった。
発売から3か月が過ぎた1963年9月12日にはなんとか22位まで来ていたが、勢いが止まってそれ以上の上がり目は、もうほとんどなかった。

ちょうどその時、前週の3位から1位に躍り出たのがビートルズの「シー・ラブズ・ユー(SHE LOVES YOU)」だ。

それまで1位の座にいたビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスの「バッド・トゥ・ミー(BAD TO ME)」もまた、ビートルズのレノン&マッカートニーが提供した作品だった。


UKチャートにおける当時のビートルズの勢いは、周囲を圧倒するものがあった。
ストーンズの次のシングルについて、アンドリューは作戦の変更を思いついた可能性が高い。

というのも、レコーディングを終えていたアラン・トゥーサンのカヴァー曲、「フォーチュン・テラー」がマージービーツのデビュー・シングル「IT’S LOVE THAT REALLY COUNTS」のB面で発売されたからだ。

それを知ってアンドリューは「フォーチュン・テラー」のお蔵入りを決めた。
と同時に、勢いのあるビートルズにストーンズのための曲を提供してもらう、そんなアイデアを考えたのではないか。

ジョンとポールにストーンズへの楽曲提供を頼んだアンドリューが、ストーンズのリハ―サル・スタジオにふたりを連れてきたのは9月10日のことだ。

まだ未完成だった曲をストーンズのメンバーに聴かせたジョンとポールは、気に入ってもらったので提供することにした。
それが「彼氏になりたい(I Wanna Be Your Man)」である。

こうしてアンドリューが描いた筋書き通りにことが進み、レノン&マッカートニーの書いた「彼氏になりたい」は、11月14日にストーンズのセカンド・シングルとしてヒット・チャートの41位に初登場、12月19日には最高13位まで上昇した。


ザ・ローリング・ストーンズ彼氏になりたい

年が明けた1月1日、伝統あるイギリスの音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に登場したストーンズは、「彼氏になりたい」をテレビで披露した。

そして翌々日からは、念願だったアルバムのレコーディングに取りかかった。
シングル曲を寄せ集めたアルバムではなく、一曲一曲を自分たちの手で作り、納得できるいいものにしたいというのが、メンバーたちに共通の思いだった。

ファースト・アルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』は4月に発売されると、ザ・ビートルズの『ウィズ・ザ・ビートルズ』に代わって、5月2日からは12週連続で1位を記録する大ヒットになった。

内容はR&Bとブルースのカヴァーが中心だったが、1曲だけジャガー&リチャーズの書き下ろしたオリジナルの「テル・ミー」が入っていた。
「フォーチュン・テラー」をマージービーツが先に発表したおかげで、アンドリューの思い描く方向でストーンズは軌道に乗ったのかもしれない。

「I Wanna Be Your Man」はビートルズにとっても、ドラムのリンゴ・スターの歌うレパートリーとして定着した。



(注)キース・リチャーズの発言はショーン イーガン 編「キース・リチャーズ、かく語りき」(音楽専科社)と、 「THE ROLLING STONES」 (rockin’on BOOKS) からの引用です。


(このコラムは2015年11月13日に公開されたものです)

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