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久保田早紀の「異邦人」を見事なアレンジで大ヒット曲に仕上げた編曲家とプロデューサーの力技

2016.10.07

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1979年10月に発売された無名の新人シンガー・ソングライター、久保田早紀のデビュー曲「異邦人」が誕生した陰にはすぐれた編曲家、萩田光雄によるプロの仕事があり、そこにはプロデュ-サーの力技が大きく関わっていた。

当時からこの作品のアレンジに対する評価は、同じプロの編曲家の間でも高いものだった。
最近もアレンジャーの森俊之が自身のツイッターで、こんな感嘆をつぶやいていた。



「異邦人」はシルクロードの映像を使った三洋電機のカラーテレビのコマーシャル・ソングが、ショッキングなほどに印象的だったことで、CMとの連動による相乗効果から大ヒットにつながった。

その大きな要因となったのは、これでもかとばかりに中近東風のサウンドを強調した萩田のアレンジと、秀逸なメロディや清新な歌詞の組み合わせの妙だった。

元曲となったのはCBSソニーがオーディションで見出した大学生、久保田小百合が書いた「白い朝」というタイトルの歌だという。
基本のメロディ・ラインはヨーロッパ調で、中近東の匂いなどはどこにもなく、若い女性シンガー・ソングライターのピュアな感性による作品だったと思われる。

それをシルクロードのCM映像にマッチする音楽に仕立てたのが、CBSソニーのディレクターだった酒井正利である。
南沙織や山口百恵といったアイドル歌手を手がけるヒットメーカーだった酒井は、その年の2月にジュディ・オングの「魅せられて」を世に送り出して、1979年のレコード大賞に選ばれることにもなる。

異邦人 久保田早紀

ワコールのCMソングだった「魅せられて」はエーゲ海を舞台にした大人の愛の物語で、エキゾチックなメロディとサウンドにして大成功を収めていた。
まさにこの時期の酒井には、飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。

「異邦人」の場合もコマーシャルとのタイアップが酒井に持ち込まれて、そこに楽曲とアーティストをはめ込む形で、異色の大ヒット曲が作られたのだ。

歌った久保田早紀の声にはベルベット・トーンの柔らかさとクールな品の良さがあり、しつこいほどの中近東風のサウンドと中和して不思議な心地よさを生み出していた。



酒井は歌が生まれたいきさつをこう語っている。

三洋電気の亀山専務から「『異邦人』というテレビを新発売するから、シルクロードの曲を作ってくれ」と依頼されて、「シルクロードは歌にできないなあ…」と悩みながらやったのが『異邦人』ですね。
三洋の亀山専務は、私が尊敬するプロデューサーなんです。
昔、フランキー堺さんが主演した『私は貝になりたい』という名作ドラマがあったんですが、そのプロデューサーなんです。
それで「新人歌手を使ってくれ」というのが条件だったんですが、これがネックでした。
ちょうどソニーのSDオーディションで、グランプリではないんだけど久保田小百合という漢字6文字の新人がいて、その子が歌っていた印象深い曲があって、のちに『異邦人』となる曲だったんです。

− その頃は別のタイトルだったんですね。

酒井:そうです。「白い朝」でした。そしてメロディも少し手直ししました。で、テープを亀山専務に渡したら大変気に入ってくれて「この部分がスポットにぴったりだ」と。亀山専務は他の業務に追われながら口ずさんだりして…。緊張もしましたが、ラッキーでした。


「白い朝」という小品のタイトルが「異邦人」に変わっただけでなく、歌詞の中のキーワードが「異邦人」になったことで、メロディにも手が加えられた。
そこにシルクロードをイメージさせるために、前奏、間奏、後奏がすべて中近東風のメロディという、きわめてインパクトの強い曲が誕生したのだ。

異邦人 久保田早紀
「異邦人」は46歳でノーベル文学賞を受賞したフランスの作家、「不条理」文学で知られるアルベール・カミュの小説と同じタイトルでもある。
小説の舞台はアルジェリアのアルジェで、2番の歌詞の「市場へ行く人の波」や「石だたみの街角」がそのあたりを連想させて、文学の香りも加わっている。

市場へ行く人の波に 身体を預け
石だたみの街角を ゆらゆらとさまよう
祈りの声 ひづめの音 歌うようなざわめき
私を置きざりに 過ぎてゆく白い朝


サブタイトルに「シルクロードのテーマ」と付けたのも酒井のアイデアで、「魅せられて」のときは「エーゲ海のテーマ」というサブタイトルだった。
アーティストもソングライターも異なるのに、その2曲がどこかに共通するテイストを与えるのはそのためだろう。

酒井の意向を受けてアレンジを手がけた萩田は、シンセサイザーや民族楽器のダルシマーなども取り入れて、見事なまでのダイナミックな歌謡曲を仕上げた。

慶応大学在学中はクラシック・ギターのサークルで活動していた萩田は大学を出た後に、24歳にして恵比寿にあるヤマハの作・編曲家教室に入門した。
そしてヤマハ音楽振興会でアルバイトをするようになり、嘱託のような形の勤務になって1973年からアレンジの仕事を始めている。

そして1975年には太田裕美のデビュー曲「雨だれ」、岩崎宏美のデビュー曲「二重唱(デュエット)」で評価が高まると、布施明の「シクラメンのかほり」がその年にレコード大賞を受賞した。

翌年には梓みちよの「メランコリー」で日本レコード大賞の編曲賞を受賞、一気に名声を高めつつあった。

当時のアレンジャーの仕事ぶりについて、最後はもう一度、森俊之の言葉で締めくくりたい。

なんと精密巧妙でいて華やかでグッとくるアレンジなんだろう。完全に曲の良さを何十倍にもしてる。サウンドキャラばかり先立つ昨今、こういう価値観こそ後世に残すべきなんじゃないかと。


~三洋電機のCMは5分46秒から~



酒井氏の発言はMusicman-NETに公開されている「Musicman’s RELAY 第140回 酒井政利氏 音楽プロデューサー」からの引用です。
http://www.musicman-net.com/relay/140-8.html

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