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あみんの素朴な”うたごごろ”が光る「待つわ」を大ヒット曲に仕上げたアレンジャーの萩田光雄

2017.07.28

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あみんは岡村孝子と加藤晴子という現役女子大生によるデュオだったが、1982年の第23回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)に出場するため、岡村が作った楽曲「待つわ」で応募して地区大会を勝ち抜いて本線(全国大会)に進んだ。

事前にはさほど注目されていなかったあみんがグランプリに選ばれたのは、「待つわ」という歌の新鮮さが審査員にストレートに受け入れられたからだ。

10代の女性の気持ちが素直に打ち出された歌詞は、いい意味でアマチュアらしく自然体で、素朴な”うたごころ”に光るものがあった。
ポプコンの審査員は全員がアマチュアの音楽ファンだったので、伸びやかな歌声と清々しくてさわやかなハーモニー、コマーシャリズムに毒されていない姿勢が共感を呼んだ。

」の音韻を散りばめた歌詞も、よくできていて効果的だった。

そうした流れからポプコンのグランプリ曲の常で、なんの心の準備もないまま二人はレコードを出してプロ・デビューすることになった。
そのときアレンジを担当したのが萩田光雄、ヤマハ作編曲教室の出身でアレンジャーとして大活躍していた才人である。

「待つわ」同世代の女性以外からも支持されたのは、明快なハーモニーを活かすために2拍4泊のアフタービートにアクセントを置いた、萩田の絶妙ともいえるアレンジの力が大きい。
シングル盤の「待つわ」はリズミカルで力強いイントロのフレーズ、素朴な歌を飾る流麗なストリングスなどによって、久保田早紀の「異邦人」にも匹敵するポップなサウンドになった。


あみんのデビュー・シングル「待つわ」は発売されるとすぐに、ヒットチャートを駆け上がってオリコンの1位になった。
そして人気があった歌番組『ザ・ベストテン』でもランクインし、その年のオリコンで年間チャート1位となるほどの大ヒットを記録した。

ところが予想をはるかに超える大ヒットになったことの影響で、平凡な女子大生だった二人を取りまく状況と生活環境が一変する。
テレビの出演などでスケジュールがいっぱいになり、連日マスコミの取材を受けるうちにプライベートな時間も持てなくなっていった。

名古屋の椙山(すぎやま)女学園大国文科2年の学生だった二人は、「私たちは芸能界に入ったわけじゃない。学生をしながら好きな歌を歌っていければと思っていた」という。
だがそうした気持ちを表すことも難しく、大人社会の都合で次々埋まっていくスケジュールに抗うことが出来なかった。

9月半ばからの前期試験が始まるというのに準備のための勉強は後回しとなり、落ち着いた学生生活にもどることは不可能だった。
デビューから5か月後にはNHK『紅白歌合戦』への出場も決まったが、それを喜んでいられる状況にはなかった。
初出場の記者会見を欠席したのは、大学のレポート提出に追われていたからだったという。

加藤晴子は翌年になって音楽活動をやめることにし、彼女を音楽に誘ってくれた岡村孝子に話して同意を得た。
二人は4枚のシングルと1枚のオリジナル・アルバムを残して、1年半に及んだ音楽活動を休止することにしたのだ。

充電期間を置いた岡村がソロのシンガー・ソングライターとして、再び音楽活動を始めたのは1985年の秋である。

大学卒業後に就職した加藤が結婚した後も二人の交流は続いていて、2007年には24年ぶりにあみんを一時的に復活させている。

ところで「待つわ」のミリオンセラーに貢献した萩田光雄は、自分がアレンジした膨大な数の作品の中でも特に気に入っている作品として、ほとんどの人に知られていないあみんの「冬」をあげている。

誰も知らないような曲でいいんなら、あみんのアルバムの中に入っている「冬」っていう曲があって、それは木戸(やすひろ)さんが作曲して、(岡村孝子ではなく)加藤(晴子)さんが歌ったんだけど、ボサノヴァでね。あれ、気に入ってる。




(注)萩田光雄さんの発言は、川瀬泰雄+吉田格+梶田昌史+田渕浩久 共著「ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち」(DU BOOKS)からの引用です。


あみん『P.P.S あなたへ・・・』
BMG JAPAN

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