TAP the SONG

画期的なカップヌードルの誕生、画期的なCMソングを書いた阿久悠と小林亜星

2017.08.25

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1971年に売出しが予定されていた世界初のカップラーメン、日清食品の「カップヌードル」のCMソングの依頼が来た時、作曲家の小林亜星は「阿久悠という斬新な詞を書く人がいるので、ぜひ頼んでみたら」と広告代理店に推薦したという。

今でこそカップヌードルは常識だが、当時は非常識な食品、とんでもない発想の商品だった。
小林は人類が初めて出合う画期的な商品なんだから、歌も相当にユニークでなければならないと考えた。

そこで即座に阿久悠のことを思ったのは、作詞の才能に大いに注目していたからである。



新人歌手の北原ミレイが歌った「ざんげの値打ちもない」は、1970年の秋に発売されて翌年になってヒットした。
〈参照コラム〉「阿久悠は新時代の旗手になる!」と、ひとりの新聞記者の心を昂らせた歌

それを聴いた小林はとんでもない発想の歌詞だと驚いて、「大変な人が出てきたと、業界の人たちはみんなもう参っちゃった」と、当時を振り返る。

やがて小林が希望したとおりに、CMソングの常識では考えられない歌詞が、阿久悠から直に手渡された。

その、歌詞を書いた字もとても特殊で、癖のある字でした。うまいとはいえないけれど、個性が強い。けれどもその字を見ると詞をつくった気持ちがよくわかるのです。おまけにただ詞を書いた紙をペラッと一枚渡すのではなく、表紙をつけてイラストを入れたり、いつも独創的なのです。
阿久さんの詞はとてもユニークで、カップヌードルとか、カップラーメンとかいう言葉は一つも出てきません。
通常、新発売の商品のCMソングをつくるときには、商品のライフサイクルから考えても、直接的な表現が要求され、とにかく名前を入れなければならない、というのがそれまでの常識でした。


その意味では阿久悠の歌詞は常識にとらわれず、商品にふさわしく革命的であった。
日清カップヌードルの初代CMソング「ハッピーじゃないか」には、CMソングなどは歌いそうにない個性的なジャズ・シンガーの笠井紀美子と、ボーカル・グループのデューク・エイセスが起用された。

常識っていうやつと おさらばした時に
自由という名の 切符が手にはいる
oh ハッピーじゃないか 
my ハッピー・カップ
oh my ハッピー・カップ
oh ハッピーじゃないか
my カップヌードル 


1971年昭和46年)の11月21日、東京・銀座の歩行者天国では大々的な宣伝販売が行われた。
4時間で2万食を売ったと言われた街頭キャンペーンは大成功に終わり、「カップヌードル」は日本ばかりか世界の食を変えることにもなっていく。

ところで阿久悠と日清食品の「カップヌードル」との出会いには、12年前の夏にさかのぼる布石があった。 
1958年8月25日、日本で初の即席麺「日清チキンラーメン」という袋入りの商品が発売された。

丼に入れてお湯をかけ、3分間密閉するだけで食べられるという便利な商品は、”三分間の奇跡”とニュースなどでも取り上げられて話題になった。
そして当時としては高価だったにもかかわらず、大ヒット商品となって日本人の食の歴史を変えていく。



「日清チキンラーメン」の果たした役割について、阿久悠は時代の変化と結びつけてこう語っている。

大げさな表現をすると、この日から、食事の持つ儀式性が失われ、家庭団欒(だんらん)の絶対性が揺らいだ。代わりにそれらの拘束から解き放たれ、食事は食になり、パーソナルになった。


大学4年生だった阿久悠は35円で買える”三分間の奇跡”に遭遇することさえ、「最も貧しく、最も元気のない時代」だったので大変だったと、著書「昭和おもちゃ箱」のなかで述懐している。

今からおよそ60年前に普通の日本人がどういう生活をしていたのか、それが伝わってくる文章を紹介したい。

どういうわけか丼は持っていたが、蓋はなかった。秒針付きの時計を持っていないので、正確に三分間を計ることが困難であった。部屋でお湯を沸かすことができないので、これまた結構面倒であった。下宿の階段を降り、一階の共同炊事場のガス台にヤカンを提げていかなければならない。しかし、どれもこれも面倒ということで、不可能ということではなかったので、三十五円を払って、噂の「即席チキンラーメン」を買って来た。

ヤカンの熱湯を注ぐ。丼の蓋の代わりに、箱入りの日本文学全集をのせる。そしてなるべく正確に三分間を計ろうと、一秒の長さを確認しつつ、掌(てのひら)で膝(ひざ)を叩(たた)きながら、、百八十まで数える。ぼくより先に既に「即席チキンラーメン」を試した奴がいて、そいつの経験談によると、時間は正確であるべし、四分になると麺がグニャッとし、五分になると汁を吸い過ぎて駄目になる、ということであったからである。そして、百八十秒、 三分、日本文学全集を取り除く。

美味(おい)しいかと問われると返事に困るのだが、醤油とラードの混じり合った独特の味で、街で食べるラーメンと全く異質の物、それでも確かに感激はあった。
その後、、即席ラーメンとかインスタント・ラーメンと呼ばれる物は、製法に工夫をこらし、街で食べる物にだんだん近くなっていくのだが、ぼくはこの第一号の物が、似て非なるが故のオリジナリティーがあって、今でもその匂(にお)いと味を思い出す。


阿久悠は妙に食べたくなる、不思議な味だったと結論づけている。
ちなみに当時の即席チキンラーメンには、何の具も入っていなかった。

日清食品のホームページには、世界初のインスタントラーメン『チキンラーメン』について、こう紹介されている。

発売日 昭和33年8月25日
発明者 安藤百福(日清食品創業者)
超ロングセラーの理由
開発にあたり、5つの目標を掲げた。
1 おいしいこと 2 簡単に調理できる 3 長い間保存できる 4 手頃な価格 5 衛生的で安全
この5つの目標をクリアできたからこそ、チキンラーメンは現在も多くの人に愛されている。







(注)小林亜星氏の発言は著書「亜星流!―ちんどん商売ハンセイ記」(朝日ソノラマ)からの引用です。
また、阿久悠氏の文章は著書「昭和おもちゃ箱」 (知恵の森文庫) からの引用です。

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