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井上陽水と忌野清志郎によるソングライティングで誕生したニューミュージックの傑作「帰れない二人」

2019.01.11

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井上陽水の「帰れない二人」が発売されたのは1973年9月21日、シングル盤「心もよう」のB面としてであった。
そしてアナログ・レコードの時代の日本において、最初に100万枚を突破した歴史的なアルバム『氷の世界』にも収録されたことによって、多くの音楽ファンに親しまれることにもなった。

ソングライターは24歳の井上陽水と22歳の忌野清志郎、ふたりの才能が正面からぶつかりあったことによって、それまでにない新しい音楽が誕生したといえる。
ニューミュージックの時代が到来していたなかにあって、「帰れない二人」は最先端の傑作と呼ぶにふさわしい楽曲になった。


その頃に井上陽水が住んでいたのは東京都三鷹市のアパートで、電話で「一緒に曲を作らないか」と誘われた忌野清志郎は、ギターを持って出かけていった。
そして井上陽水の部屋でお互いにギターを手にして向き合った2人は、わずか2時間ほどで「帰れない二人」をワン・コーラス仕上げたという。

忌野清志郎は自伝の{GOTTA!」のなかで、この曲にはもとになった歌があったと述べている。

「最近はどんな曲作ってんの?」って陽水が訊くから「指輪をはめたい」をオレが歌ってやったわけ。陽水じっと聴いてた。「いやー、実にいい曲だね」って感心してね。「でも、その歌詞じゃ、だめだよ。売れないと思うよ」っていうんだ。「どんなコード進行なの?」って陽水がねばるからさ。「指輪を~」のコード進行を教えてやったよ。それでふたりでこの曲をいじくりまわしてさ。途中まで「指輪を~」と同じコード進行で、ちょっとメロディー変えてね。最後の部分エンディングを陽水が作った。
なんつうか無理矢理のエンディング、それが陽水の特長なのかもね。



イントロからワンコーラスがまとまったところで、井上陽水はその場で一番の歌詞を作ってから、「二番は清志郎が作れ」と言ってきたという。
しかしその場で仕上げるのは無理だったので、それを持ち帰って二番の歌詞を完成させている。

何日か経って二番を作ってさ。それを陽水に電話送りで伝えたわけ。それが「帰れない二人」なんだよね。つまり「指輪を~」のメロディーが「帰れない~」の基本になっているのさ。


「帰れない二人」はアルバムに先駆けて発売されるシングルの候補曲に選ばれたので、さっそくレコーディングが行われた。
アレンジした星勝のセンスが加えられたことで、井上陽水を筆頭に主要なスタッフたちは全員、これをA面にするつもりになったという。

ところがレコード会社のプロデューサーだった多賀英典だけは、もう一曲の候補曲だった「心もよう」を強く推して対立する。
多賀は最後まで自説を押し通して、「帰れない二人」にこだわる井上陽水とスタッフたちを一人で説得した。

「心もよう」の方日本ではが売れるという多賀の判断が正解であったことは、それまでの最大のヒット曲になったことで証明されていった。

「心もよう」は前作の「夢の中へ」を超えるヒットになって、12月1日に発売されたアルバム『氷の世界』のビッグ・セールスを先導していくという、リード・シングルの役割を見事に果たしたのである。

また、わかりやすい遠距離恋愛をテーマにしていたので、叙情的な歌を好むリスナーにまでファン層を広げることにも成功した。

しかしながら21世紀の今になってこの2曲を聴き比べると、「心もよう」が昭和という時代を感じさせるのに対して、「帰れない二人」は時空を超えて輝いている、ということに気付かされる。

井上陽水の伸びやかなヴォーカルによって、忌野清志郎が書いた二番の歌詞がいつまでも深い余韻を残す。

(注)文中に引用した忌野清志郎氏の言葉はすべて、連野城太郎著「GOTTA!忌野清志郎」(角川文庫)からの引用です。

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