1969年に「アンドレ・カンドレ」という名前で登場した井上陽水だが、デビュー曲は「カンドレ・マンドレ」というタイトルだった。発表されたその当時も今も変な芸名だったし、曲のタイトルもかなり変な感じがした。
最近になって本人は「若気の至りっていうのは怖いよね(笑)」と話しているが、そのどこか普通ではないネーミングには、井上陽水という表現者が持っている美意識と恥じらいが潜んでいる。
芸名に美意識と恥じらいが潜んでいるといえば、同じ時代の忌野清志郎が挙げられるだろう。そんな二人が井上陽水のベストセラー・アルバム『氷の世界』では、「帰れない二人」と「待ちぼうけ」を一緒にソングライティングしていた。
1982年に行われたこの二人の対談のなかで、「ネーミングでアーティストの面白さっていうのが、わかるんですか?」という司会者の質問に、忌野清志郎がはっきりこう応えている。
わかる。陽水なんか、最初アンドレ・カンドレだったでしょ。で、出したレコードが「カンドレ・マンドレ」だったし、この人は気が合うだろうなって思ったもの。
(『昭和の歌麿と昭和の写楽 戯言対談』)
忌野清志郎は二人が出会った頃の印象について、井上陽水がビートルズをコピーしながら熱心に研究していたとも語っている。
うーん……あの、ビートルズの曲、やってたんですよ、アンドレ・カンドレって名前で……やっぱり、そのネーミングがすごいと。それから、ビートルズのコピーがうまいなって、思った、ウン。すごい、ビートルズの曲、研究してたし、研究熱心なヤツだと思いました、ウン。
(『昭和の歌麿と昭和の写楽 戯言対談』)
1967年から68年にかけて爆発的にヒットしていた”変な歌”、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」を聴いて、井上陽水は自分にもできると思ったので、「カンドレ・マンドレ」という曲を作ったと述べたことがある。
だが、上質なポップ・ミュージックだったデビュー曲も、残念ながら発表当時はまったく世の中に受け入れられなかった。
それから4年後の1973年3月1日、井上陽水に改名して再デビューしてから3枚目となるシングル「夢の中へ」が発売された。3月3日公開の東宝映画『放課後』(監督:森谷司郎)の主題歌として使われたこともあって、この曲は井上陽水にとって最初のシングル・ヒットになった。
「カンドレ・マンドレ」と「夢の中へ」のタイトルに共通しているのは、「か」という音韻だった。そして「カンドレ・マンドレ」の歌詞では、「か」の音韻がワンコーラスに3回出てくる。
ところが「夢の中へ」の歌詞には「か」の音韻が、ワンコーラスになんと11回も出てくる。声に出して読めばわかるのだが、歯切れがよい「か」という音韻が積み重なっていくことで、日本語によるビート感とノリが自然に生まれている。
聴いていて歌詞がなめらかに歯切れよく聞こえるのは、天才的なシンガーのなせるわざだったからだろう。
「か」の音韻を意識的に多用することで、サウンド全体に日本語のビートを乗せることに成功した井上陽水の歌は、アンドレ・カンドレの頃に比べて明らかに力強くなっていた。
「カンドレ・マンドレ」から「夢の中へ」への進化は、忌野清志郎が言った「研究熱心なヤツ」がビートルズの曲を歌って研究し、自分のものにしたという証のようなものだったに違いない。
井上陽水は探し物を見つけた上に、それを活かす歌唱法にも磨きをかけて、ビートルズの音楽に通じる“軽やかさと華やかさ”を獲得したと言える。
(注)本コラムは2015年3月13日に初公開されました。文中の『昭和の歌麿と昭和の写楽 戯言対談』における忌野清志郎の発言は、「井上陽水 FILE FROM 1969」(TOKYO FM出版)からの引用です。
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