「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

ロック的な衝動を知っている西城秀樹だから見事に唄いきった「ちぎれた愛」

2019.09.20

Pocket
LINEで送る


欧米の音楽シーンがロックの時代に入ったことの影響を受けて始まった日本の新しい歌謡曲は、1960年代のエレキブームやグループサウンズを経て、1970年代に入ったところでソングライターたちの顔ぶれが一気に若手中心になり、そこから百花繚乱の全盛期を迎えていくことになった。

昭和に生まれたこの時代の華やかだった歌謡曲について、ムーブメントの中心にいた作詞家の阿久悠は、戦前・戦後の流行歌や演歌とも違うし、平成のJ-POPとも違っていると語っていた。
その上で大衆文化として以下のように、日本の歌謡曲をあらためて定義づけたのだった。

流行歌とも思えるし、演歌とも考えられるし、Jポップス的なところもパーツとしては見つけられる。
つまり歌謡曲とは趣味嗜好によって細分化したジャンルではなく、おそろしくフトコロの広い、器の大きい物なのだ。
(阿久悠『昭和と歌謡曲と日本人』河出書房新社)


ヒット曲を量産していた阿久悠はその頃の活動を振り返って、新しい楽曲を作り出していた側からの感慨を、このように述べていた。

その当時の若いプロ作家は、歌的なるものの呪縛から解き放たれ、不可能はないとばかりに新しいこと、珍しいこと、面白いことを探し、創り、世に提供した。


1972年に17歳の若さでデビューした西城秀樹は、小学生の頃から兄とエレキバンドを組んでドラムを叩いていたというから、まさにロック世代の申し子であった。

芸能界入りを反対する父の元を離れて高校を中退し、故郷の広島から家出同然に上京してきたのは1971年秋のことだ。
そこから一匹狼のマネージャーだった上條英男の家に住み込んで、歌手としてデビューするために集中的な特訓を受けた。
上條はレコード会社をRCAビクター、所属プロダクションを芸映に決めていく。

1972年3月25日にデビュー曲「恋する季節」がリリースされて、西城秀樹は「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズのもとに、男性アイドル歌手として売り出された。

それから1年が過ぎて順調に人気を獲得し、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれるようになった。
やがて6枚目のシングル「ちぎれた愛」が、オリコン週間チャートで1973年9月24日に初の第1位を獲得する。
西城秀樹はここからアイドルの枠を超えて、ロック世代の申し子らしい天性の才能を発揮していく。
16ビートのリズムに滑舌のいい歌声を乗せて、日本語のシャウト唱法も板についてきたのだ。


 「ちぎれた愛」
 作詞:安井かずみ 作・編曲:馬飼野康二

 ふたりだけに ふたりだけに
 この愛が生まれ
 ふたりだけで ふたりだけで
 愛を抱きしめてゆくよ

 アー この愛を 守るために
 傷だらけ 例え命さえ
 賭けることも 出来るだろう
 孤独なふたり 恋人


ここで初めて組んだソングライターの安井かずみと馬飼野康二は、型にはまらない斬新かつダイナミックな楽曲によって、西城秀樹というロックシンガーの魅力を最大限に引き出したのである。

特筆すべきはBメロの最初に出てくる「♫ アー」の部分のニュアンスで、これは西城秀樹のほかには出せそうにない、ロック衝動に満ちた歌声だった。

上京する直前の1972年9月27日、初来日したレッド・ツェッペリンは広島市民体育館でコンサートを行っている。
それを観に行った西城秀樹はその段階で、すでにほんもののロックを体験していたのだ。

さらに安井かずみが書いた歌詞のなかで効果的だったのが、後半に挿入された赤裸々でストレートな台詞のパートである。

『僕の気持ちを信じて 君をはなすもんか すきだ すきだよ すきなんだよ』


阿久悠が指摘していた通りに、日本の流行歌の伝統だった七五調という”歌的なるものの呪縛から解き放たれ”ていた安井かずみは、若々しいロック衝動を日本語の歌詞に落とし込んだ。
そして西城秀樹はそれを見事に唄いきった。


ーーー
2019年10月1日(火)~2019年10月14日(月)三省堂書店 池袋本店にて
西城秀樹写真集『HIDEKI FOREVER blue』出版記念パネル展を開催

詳しくはこちらをご覧ください。
http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/4765
ーーー

西城秀樹『HIDEKI FOREVER blue』(写真集)
集英社インターナショナル

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the SONG]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ