1987年に生まれ育った台湾から香港へ住まいを移したテレサ・テンは、日本における歌手活動を除けば、ほぼ引退状態にあった。
もう人前で歌うことは少なくなっていたのだ。だが父母の祖国である中国大陸でのコンサート開催には前向きだった。
もしも大陸で歌うことができるのならば、共産党の幹部やその一族といった特権階級に向けてではなく、自分の歌を愛する名もない一般の人たちの前で歌いたい。
大勢の人が集まれる広い場所で無料コンサートを行う、そんな夢がテレサの頭のなかに育まれていった。イメージした場所は、北京の天安門広場だった。
フリー・コンサートを開く準備が進んでいた1989年の春。改革派の指導者だった胡耀邦・前総書記が4月15日に亡くなったことをきっかけに、民主化を叫ぶ北京の学生達が天安門広場に集まって政府に対する抗議の声を上げ始めた。
日を追う毎に人が増えて大規模な民主化要求運動になり、デモが敢行されるに至って、北京市には戒厳令がしかれた。
10年後に中国への返還を控えていた香港の人々の関心は高く、緊張が高まっていくなかで5月27日、ハッピーヴァレー競馬場で「中華人民共和国の民主化支援コンサート」が開かれた。
事前に出演依頼を断っていたテレサは、テレビで生中継されているコンサートを観ているうちに、居ても立ってもいられなくなって会場に駆けつけた。
白のシャツとジーンズ姿の普段着、まったくノーメークのままだった。
泣いてばかりいて腫れた目を隠すためにサングラスをかけたテレサは、アジアが生んだ20世紀最大のスーパースターとしてではなく、民主化を支持する一人の女性として登壇した。
みなさん本当にありがとう。
これほど熱心に民主を打ち立てようと努力している。
そんなみなさんと香港で一緒にいられることをとてもうれしく思います。
わたしはある一つの歌を練習してきました。
その歌を、わたしはこれまで歌ったことはありません。
この歌を耳にしたことのあるひとも少ないはずです。
みなさん、この歌を聴いて、わたしの心がいったい何を叫びたかったのかをわかってください
それはかつて抗日戦争時代に歌われていた、「我的家在山的那一邊(私の家は山の向こう)」だった。
しかし6月3日の深夜から4日未明にかけて、中国人民解放軍の戦車や装甲車が、天安門広場に座り込んでいたデモ隊を一気に鎮圧した。
衝突と混乱のなかで多くの犠牲者が出たが、その数は今もって定かではない。テレサの夢と願いは粉々に打ち砕かれたのだった。
その年の秋、日本におけるデビュー15周年の記念番組に出演したテレサは、喪服を想起させる黒いドレス姿で登場した。そして新曲の「悲しい自由」を歌う前に、「私は自由でいたい。全ての人たちも、自由であるべきだと思っています」と語った。
私はチャイニーズです。
世界のどこに行っても、どこで生活しても、私はチャイニーズです。
だから、今年の中国のできごと、全てに、私は心を痛めてます。
中国の未来がどこにあるのか、とても心配しています。
私は、自由でいたい。
そして、全ての人たちも自由であるべきだと思っています。
それが、”お・び・や・か”されているのが、とても悲しいです。
でも、この悲しくてつらい気持ち、いつか晴れる。
誰も、きっと、わかりあえる。
その日がくることを信じて、私は歌ってゆきます。
残念ながらそれから6年後、テレサは使命を果たしたかのように、42歳の若さでこの世を去った。
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参考文献 有田芳生著『私の家は山の向こう – テレサ・テン十年目の真実』(文藝春秋)

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