「翳りゆく部屋」は、ユーミンが結婚して松任谷由実になる前、荒井由実の名義で1976年3月5日に発売された最後のシングルだ。
ただし、本人の弁によればもっとずっと前に、プロコル・ハルムのアルバム『ソルティドッグ』を聴き込んでいって書いた曲だったという。アルバム『ひこうき雲』を発表した頃には、すでに「マホガニーの部屋」という原型ができていたらしい。
高校生の頃に大好きだったというプロコル・ハルムについて、ユーミンはラジオ番組に出演して以下のように語ったことがある。(なお、発言のなかに出てくる「ピルグリムス・プログレス」という楽曲は、「巡礼者の旅」という邦題が付いてアルバムの最後を飾っている。)
この曲のタイトルもそうだけど、「ピルグリムス・プログレス(PILGRIMS PROGRESS)」って、いわゆる“ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)”っていうのが…。あの、ピューリタンで、要するにイギリスからアメリカに移民した人の話が、トータル・アルバムになってて、詞もすごく深いんですよ。”航海日誌”みたいになっているんだけど、私がこれを聞いていた頃に作った曲ですね、「翳りゆく部屋」っていうのは…。
『ソルティドッグ』は教会音楽を思わせるオルガンとクラシカルなメロディ、それに力強いドラムによるロック的なサウンド、静と動の組み合わせのアルバム・タイトル曲から始まるが、それは「青い影」以上にドラマティックな楽曲である。
プロコル・ハルムには結成当時から、キース・リードという詩人が在籍していたが、彼は歌や演奏ではなく作詞専門のメンバーであった。
彼が書いていた哲学的な歌詞の通奏低音となっているのは、かつて七つの海を渡って生きてきた海の男たちの間で、親から子へ、子から孫へと受け継がれてきたバイキングの物語や歌で、そこには彼らの子孫であるということの誇りが込められていた。
アルバム最後の「巡礼者の旅」は、こんな歌詞で終わっている。
シンプルな物語を書こうと腰をおろして
たぶんそれで、歌が生まれるのだろう
言葉はすべて私なんかよりも遥か以前に、
誰かによって書かれたものなのだ
わたしたちはかわりばんこに、それを伝えていこう
みんなで交代しながら伝えていけばいいのだ
アルバム『ソルティドッグ』にインスパイアされて生まれた「マホガニーの部屋」は、「出しても売れない」というスタッフの判断で、レコーディングが見送られてきた。
しかし、1975年の夏に「ルージュの伝言」が初めてヒットした後で、10月に発売した「あの日にかえりたい」が大ヒットしてオリコンチャートの1位に輝いた。ユーミンはそのときに、本音を出してもいいと思ったらしい。
まあ「あの日にかえりたい」を出した後、一応ひと段落ついたから(笑)、本音を出してやろうと思って。あの…昔、もう、その頃に書いた曲をね、ひっぱり出してシングルにしたんです。
1976年3月5日に東芝EMIからリリースされた「翳りゆく部屋」は、オリコンチャートで10位にまで上昇していった。かつての「出しても売れない」という判断をくつがえす、ヒット曲になったのである。
ユーミンの歌詞は愛し合ったふたりの別れを描いたものだったが、「運命」と「死」という単語があることや、クラシック・ロック的なサウンドのアプローチによって歴史の深みのようなものを感じさせる。
その後も1989年12月21日にCDシングルとして再発されたほか、1999年にトリビュートアルバム「Dear Yuming」のなかで、デビューしたばかりの椎名林檎がカヴァーして評判になり、そこから「翳りゆく部屋」は若い音楽ファンの間でも有名になった。
さらには2008年1月には再ブレイクを果たしたエレファントカシマシがカヴァーしたことによって、あらためて楽曲の良さが認識されて日本のスタンダード曲へと成長したのである。
(注)本コラムは2018年9月28日に公開されました。
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