1968年の4月4日、公民権運動を先導したマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師がテネシー州のメンフィスで暗殺されると、6月6日には民主党の大統領候補の筆頭にいたロバート・ケネディ上院議員が、カリフォルニア州のロサンゼルスで凶弾に倒れて亡くなった。
キング牧師の暗殺に触発されて作られたラスカルズの「自由の讃歌(People Got To Be Free)が発表されたのは、ふたつの衝撃的な暗殺事件の余韻が覚めない7月中旬のことだった。
ヤング・ラスカルズと名乗っていた頃のファンキーなヒット曲「Good Lovin’」や、今ではAORの名曲として知られる「グルーヴィン(Groovin’)」で若者たちに人気があり、しかもアフリカン・アメリカンではないニューヨーク出身のバンドが、プロテスト・ソングをシングルにすることに対して、レコード会社は乗り気ではなかった。
しかし、ラスカルズの強い要望でリリースされた「自由の讃歌」は、初登場からわずか4週間後に3枚目の全米チャート1位を獲得する大ヒットとなる。
「自由の讃歌」に続いて、ラスカルズは「希望の光(A Ray Of Hope)」、「ヘヴン(Heaven)」とメッセージ・ソングの3部作を発表していく。
「希望の光」は暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領と、ロバートという二人の兄を持った民主党リベラル派の代表格、エドワード・ケネディ上院議員のために書かれた曲だった。
それから40年以上の時を隔てた2011年8月10日、自分のアルバムに「Ray Of Hope」と名づけたのは、最も敬愛するブルーアイド・ソウルのグループはラスカルズだと表明していた山下達郎だ。
”Ray Of Hope”っていうのは、素敵な言葉でね。空からパーっと光が射し込むあの感じをRay Of Hopeって言うんだそうです。さらには、人生に関しての、一筋の光、一縷の望みっていうような意味にもなる。
当初は「WooHoo(ウーフー)」と付けられていたタイトルが、「Ray Of Hope」に変更されたのは東日本大震災の影響だった。
激動と混乱の1968年に、白人グループでありながらも黒人の解放や国家の平和を願って音楽を創っていたラスカルズのスピリッツが、「自由の讃歌」や「希望の光」を通して2011年の山下達郎に受け継がれていく。
アルバム「Ray Of Hope」の核となった「希望という名の光」や「MY MORNING PRAYER」に込められた思いは、ラスカルズのメッセージにも繋がっている。