3月26日はアメリカが生んだ“ロックンロールバンドの最高峰”エアロスミスのボーカリスト、スティーヴン・タイラーの誕生日です。
彼はハリウッド女優として活躍している娘リヴ・タイラーの父親でもある。
スティーヴンとギターのジョー・ペリーらを中心に、1970年にボストンで結成されたエアロスミスは、73年にアルバム『Aerosmith(野獣生誕)』でデビューし、それから3年足らずでトップバンドへとのし上がる。
その不良っぽいルックスとブルースを基調としたラフでルーズな音楽スタイルは、ローリング・ストーンズと肩を並べるほどの人気を誇り、当時の若者達を熱狂させた。
特にスティーヴンの“大きなくちびる”から発せられるシャウトは、実に猥雑で妖しげな空気を醸し出し、今なお世界中のロックファンを魅了し続けている。
80年代前半のエアロスミスは、ジョー・ペリーの一時離脱、そしてスティーヴンのドラッグ中毒問題もあってどん底状態だった。
1986年、名プロデューサーのリック・ルービンの“仕掛け”により、ヒップホップグループのRun-D.M.C.(ラン・ディーエムシー)が彼らの「Walk This Way」をカヴァーして全米チャート4位(Billboard Hot 100)となった。
それを機に不死鳥の如く音楽シーンにカムバックしたエアロスミスは、その後も順調にアルバムリリース&ワールドツアーを重ねてグラミー賞の常連バンドとなる。
1998年には、娘のリヴ・タイラーが出演した映画『アルマゲドン』の主題歌「I Don’t Want to Miss a Thing」がバンド史上初となる全米シングルチャート1位(Billboard Hot 100)を獲得し、その人気を不動のものとした。
「Walk This Way」/ Run-D.M.C.
バンドの人気と共に、プライベートでも数多の浮名を流したスティーヴンにはこんなエピソードがある。
リヴの母親ビビ・ビュエルは有名なグルーピーで、当時複数のミュージシャンと関係があったため、彼女は自分がスティーヴンの娘だと知らされずに育てられたという。
1986年、そんな彼女に“運命を変える日”がおとずれる。
それはRun-D.M.C.とのコラボ「Walk This Way」がヒットしたタイミングに合わせて行われたエアロスミスのコンサート会場での出来事だった。
当時9歳だったリヴは、母親ビビと共にあるコネで彼らの楽屋に入れてもらった。
そこにいたスティーヴンの娘ミア・タイラー(スティーヴンと結婚したシリンダ・フォクシーとの娘)を見て衝撃を受けたという。
「自分とそっくり!」
その“大きなくちびる”、瞳の色、自分とミアとスティーヴンとの間にあるいくつかの共通点…。
外見の照合よりも先に、彼女は“血縁”という絆を直感的に察知したのかもしれない。
帰宅後、彼女が母親を問いつめた結果、自分とスティーヴンが親子であることが明らかとなった。
程なくして、スティーヴンはリヴに「タイラー」の姓を名乗るように薦め、彼女が14歳のとき「リヴ・タイラー」と改名した。
この頃から二人の親子関係が公にも知られるようになった。
その後、スティーヴンはエアロスミスのプロモーションビデオにリヴを出演させたりして、女優を目指す彼女をバックアップするようになる。
映画『アルマゲドン』の感動的なラストシーンに流れる「I Don’t Want to Miss a Thing」には、物語とのリンクとは別に、スティーヴンの娘への愛が歌われているのかもしれない…
「I dont want to miss a thing」/エアロスミス
【スティーヴン・タイラーの家族構成】
■元彼女:ベベ・ビュエル(元モデル)
1970年代中頃に交際していたが、交際当時は別の男性と同棲中だった。スティーヴンの娘で女優のリヴ・タイラーを授かる。
■娘:リヴ・タイラー(女優)
1977年7月1日生まれ。母親はモデルのベベ・ビュエル。当時スティーヴンがドラッグ中毒だったため、リヴへの影響を考えて、母親のビュエルは当時同棲中であったトッド・ラングレンが父親ということにして、出生証明書の父親もトッド・ラングレンとなっている。
■娘:ミア・タイラー
1978年12月22日生まれ。母親はシリンダ・フォクシー。
■息子:タジ・モンロー・タラリコ
母親はテレサ・バリック。
■娘:チェルシー・アンナ・タラリコ
母親はテレサ・バリック。