1973年1月、エアロスミスはアルバム『エアロスミス』(邦題:「野獣生誕」)でコロムビア・レーベルからデビューを果たす。だが、セールスはまったくふるわなかった。
原因のひとつは、コロムビアが1週間前に発売されていたブルース・スプリングスティーンのデビュー・アルバム『アズベリー・パークからの挨拶』にプロモーション・パワーのほとんどをつぎ込んでいたからだとも言われたが、評論家たちのレビューも好意的とはいえなかった。「ストーンズの偽物」といった、ありがちなレッテルを貼ろうとする者もいた。
そんな彼らを救ったのが、「ドリーム・オン」だった。「ドリーム・オン」はAMラジオでかかりやすいように編集されてシングル・カットされると、ボストンを中心に火がついていった。
1948年の3月26日、ニューヨークの外れで生まれたスティーヴン・タイラーが「ドリーム・オン」のメロディーに出会ったのは、17歳の頃だ。
彼はピアノを弾いていた。そして突然、そのソネットのようなメロディを指が奏でたのである。
♪
俺の半生は
書物に記されていたこと
愚者や賢者の教えを
そのまま生きてきた
♪
スティーヴン・タイラーは小さな頃からピアノが友達だった。彼の父はクラシック・ミュージックの訓練を受けたミュージシャンだった。物心ついた頃、スティーヴンはよく、ピアノの下にもぐりこみ、父親が弾くピアノの音色に耳を澄ませたものだった。
そして「ドリーム・オン」のコード展開は、ピアノの下で小さなスティーヴンの耳に焼きついたものだったのである。
♪
ドリーム・オン
夢を見続けるのさ
その夢が叶うまで
♪
「ドリーム・オン」が厳かなソネットから、ロックのバラードに生まれ変わったのは、ジョー・ペリーがギターを弾いた瞬間だった。
「メロドラマを観たときのように、俺は泣けてきたのさ」
スティーヴンはその時のことについて、そう語っている。
エアロスミスが「ドリーム・オン」を初めて演奏したのは、1971年11月のことだ。コネチカット州の<シャボー・イン>。ホテルの一階にあるホールでの演奏だった。一晩の演奏で、175ドルのギャラだった。

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