レコード会社やマネージャーによってあたかもボブ・ディランのフォロワーのように売り出された経緯もあって、ブルース・スプリングスティーンは今ひとつパッとしないシンガー・ソングライターと見做されていた。
しかし、地道なライブを積み重ねることで音楽ファンの間の一部で評判が高まっていたブルースが、朋友のE・ストリートバンドとともに作り上げた3枚目のアルバム『明日なき暴走(Born To Run)』が、1975年の8月25日にリリースされると風が吹き始める。
タイム誌とニューズウィーク誌の表紙を同時に飾ったブルースは、時の人になって全米の注目を集めていくのである。「これでダメだったら次はもうない」という気持ちが込められていたアルバムは、ゴールド・ディスクを獲得しただけでなく、内容的にもきわめて高い評価を受けた。
そしてブルースは、”ロックンロールの未来”という秀逸なるキャッチフレーズを得たことによって、ここからアメリカを代表する表現者へと躍進する。
その年の秋も深まった11月18日、イギリスにおけるブルースの初ライブ・ツアーが、ハマースミス・オデオンで最終日を迎えようとしていた。
最初は何も見えない暗闇の中から、印象的なピアノのイントロが聞こえてくる。そこへハーモニカが重なってくるアレンジの「涙のサンダー・ロード」がオープニングを飾り、エネルギッシュなライブが始まった。
当時のブルースは26歳、痩せて精悍な顔をした若者の小柄な身体の奥底からは、マグマがとめどなく噴出してくるようだったという。
そのパフォーマンスは時には熱く、時にはクールで、E・ストリートバンドとともに観客を圧倒していった。ロンドンっ子は心をわしづかみにされたまま、ブルースとE・ストリートバンドとともに最後まで走りぬけた。
まさに圧巻だったその日のライブを観ていた観客のなかに、ウディ・ガスリーのレコードを聴いた影響で“ウッディ・メラー”と名乗っている23歳の若者がいた。
長時間に及ぶエネルギッシュなステージ、グルーヴ感いっぱいのストレートなロックンロール、そして物語的に綴られていく言葉による長い歌詞に触発されて、若者はさっそくブルースと同じテレキャスターを手に入れた。
その若者は翌年の夏にザ・クラッシュを結成し、そこから自分のことを、ジョー・ストラマーと名乗るようにになる。ブルースがエルヴィス・プレスリーから受け継いだロックンロールは、若者にとっての啓示となってクラッシュにも受け継がれていった。
それから30数年の月日が流れて、ジョーは2002年12月22日に先天性の心臓疾患で夭逝する。享年50。その追悼特別ライヴが行われたのは2003年の2月で、グラミー賞授賞式の場であった。
演奏されたのはクラッシュの代表曲で、パンク・ムーブメントのアンセムとなった「ロンドン・コーリング」である。
ヴォーカルを受け持ったのはブルース・スプリングスティーン、E ストリートバンドのスティーヴ・ヴァン・ザント、エルヴィス・コステロ、デイヴ・グロール(元ニルヴァーナ、現フー・ファイターズ)の4人だった。
(詳しくはTAP the LIVE『グラミーの舞台でジョー・ストラマーに捧げられた「ロンドン・コーリング」』をお読みください)
(注)本コラムは2013年11月18日に公開されたものを改題して加筆しました。
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