1978年10月9日、ベルギー出身のシャンソン歌手ジャック・ブレル(享年49)がこの世を去った。
死因は肺癌と公表された。
彼の遺骨はマルキーズ諸島(フランス領ポリネシア)にあるヒバオア島のトレーター湾を見下ろす墓地に埋葬された。
近くにはゴーギャンの墓もあるこの地は、現在ヒバオア島の観光名所となっているという。
彼は作詞作曲家でもあり、その作詞の素晴らしさから“稀代の詩人”とも評された人物である。
またフランス語圏では、俳優および映画監督としても知られた才人だ。
1929年4月8日、彼はベルギーのブリュッセルで生まれた、
父親は板紙工場を経営する実業家だった。
彼はその工場の跡継ぎとして期待されていたが…10代の頃から歌や演劇に夢中になり、二十歳を過ぎた頃から(父親の工場に勤めながら)週末の夜は自ら作った曲をナイトクラブで歌うようになったという。
1953年、24歳になった彼は78回転のSP盤でレコードデビューを果す。
当時200枚ほどしか売れなかったものの、フランスのシャンソン界の大物ジャック・カネッティにその才能を見出され、彼はそれまで勤めていた板紙工場の仕事を辞めて活動の場をパリに移す。
翌1954年、彼はパリでデビューアルバム『Grand Jacques』を発表する。
そこに収められていた「Le Diable(OK悪魔)」を、人気シャンソン歌手ジュリエット・グレコが取り上げて歌ったことで、彼の名は広く知られるようになる。
1950年代後半頃からは「Quand on n’a que l’amour(愛しかない時)」、「Ne me quitte pas(行かないで)」、「Les Flamandes(フランドル女たち)」、「Marieke(わが故郷マリーク)」、「Le moribond(瀕死の人/そよ風のバラード)」、「On n’oublie rien(忘れじの君)」など、次々と大ヒットを飛ばし、シャンソン界で絶大な人気を誇る存在となる。
1960年代こそが彼にとって“黄金期”で、愛と死、人生を歌った文学的な歌を次々と創作し、歌手だけにとどまらず俳優や映画監督、舞台演出家としても幅広く活躍の場を広げてゆく。
そして1968年、彼は他界する10年前(当時39歳)に突然一線から身を引く。
1973年、44歳になった彼はフランス領ポリネシア、マルキーズ諸島にあるヒバオア島に移住をする。
フランスの国民的スターとして人気絶頂だった彼がなぜ?
「歌うことは重要ではない。もし、このまま続けたら10年前の曲を何度も歌うことになるだろう。そして成功して穏やかに暮らすだろう。私は戦っていたい。私は、現実、恐怖、正義、自分を高めることを愛する。」
この発言は1985年にテレビジョン・ベルギーによって制作された番組『栄光のシャンソン・フランセーズ』のインタビューで彼が口にした言葉である。
実際には肺癌を宣告されたことが引退の理由だったと言われている。
フランスの芸術評論雑誌パリ・マッチの追悼号(1978年10月20日付)には、本人による言葉で「あの時に活動を中止したのは癌のためである。」と掲載されている。
ヒバオア島に移住した翌年には、自家用船“アイスコイ2号”で大西洋横断を成し遂げる。
また、若い頃にアメリカで自家用操縦士の運転免許を取得していた彼は、小さな双発飛行機を所有してタクシー飛行機の仕事を楽しみながらで過ごしていたという。
そんな日々を送る中、喫煙者であった彼は肺癌罹患が発覚し一度手術を受けることとなる。
島での生活を4年続けた後…1977年9月、彼は(再び突如として)パリに舞い戻る。
それは彼が48歳を迎えた年の出来事だった。
約10年間まともに歌っていたなかった彼が、島暮らしを通じて書きためてきた新曲18曲の録音をするというのだ。
レコーディングに参加した皆が“これがジャック・ブレルにとって最後の作品となる”と無言のうちに感じていたという。
数年前に肺癌で手術を受けながらも、毎日煙草を5箱吸い、島暮らしで肌を健康そうに日焼けさせてはいるものの…やせ衰え、咳が出ればなかなか止まらない。
そんな姿を見て、誰もがそう思ってしまうのは仕方のないことだった。
レコーディングの全行程を終えた彼は、スタッフと話し合って12曲をアルバムに収録することとした。
不満の残る6曲は永久封印することが約束された。
彼が所属していたバークレイレコードの社長、エディ・バークレイは「ジャック・ブレルのカムバック作品を歴史的事件にまで高めよう!」と、現場に指示を出したという。
異例の100万枚を超す店頭販売を決め、楽曲のラジオオンエア開始を11月17日12時51分と定め、シャンゼリゼ通りはジャック・ブレルの新作アルバムのジャケット一色となったという。
それから約一年後、1978年10月 9日に彼は再発した肺癌によってパリ郊外にて静かに息を引き取ったという…
<参考文献『ポップ・フランセーズ名曲101徹底ガイド』向風三郎(音楽出版社)>