♪「Sous Le Ciel De Paris(パリの空の下)」/ジュリエット・グレコ
パリの空の下で歌が流れる
若者の心の中で生まれた歌が
パリの空の下 恋人が行く
流れるメロディに二人の幸せが
この「パリの空の下」は、フランスの名画『望郷』で知られる映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエが1951年に公開した映画『Sous Le Ciel De Paris(邦題:巴里の空の下セーヌは流れる)』の主題歌である。
その内容は、パリに住む人たちの日常をスケッチしたような群像劇だった。
どこの街角にでもあるようなエピソードに、観客は自分自身を投影させるといったいような“リアリズム”を基調とした作品として知られている。
故にこの映画は人に感動や希望を与えるというものではなかった。
そんな物語の中で、唯一“僅かな救い”や“明るい希望”を照らし描いていたのが、この歌の存在だった。
もともとはジュリエット・グレコが歌っていたが、エディット・ピアフやイヴ・モンタンも歌い、むしろグレコより人気を博したこの「パリの空の下」。
作詞はジャン・ドレジャック、作曲はユベール・ジロー。
軽快なメロディに乗って歌われ、20世紀後半のシャンソンを代表する曲の一つとなった。
♪「Sous Le Ciel De Paris(パリの空の下)」/エディット・ピアフ
♪「Sous Le Ciel De Paris(パリの空の下)」/イブ・モンタン
♪「Sous Le Ciel De Paris(パリの空の下)」/リーヌ・ルノー
♪「Sous Le Ciel De Paris(パリの空の下)」/ジル・バーバー
「サン・ジェルマン・デ・プレの女神」と呼ばれるジュリエット・グレコは、1927年モンペリエ生まれ。
レジスタンス活動家の母が収容所に送られてからは、左派の文化人の活動拠点だったサンジェルマン・デ・プレ近くの知人宅に暮らしました。
戦後この界隈で花開いたジャズと実存主義のムーブメントの中、23歳の時に本格的に歌手デビューを果たします。
彼女の公演には、この界隈のカフェで親しくなったサルトル、ボーヴォワール、カミュなどのパリの知識人が多く足を運びました。
マイルス・ディヴィスと恋に落ちた20代前半、ジャン・コクトーの映画などで女優としても活躍した20代後半の後も、セルジュ・ゲンズブールから曲を多数送られるなど多くの著名人と公私ともに影響を与え合っていました。
日本を含む数々の都市での公演も続けている、名実共に現役最高峰のシャンソンシンガーです。
そんなグレコが無名のジャック・ブレルを見いだしたのは1954年のこと。
2人の深い親交は、ブレルがシャンソン界の大歌手になった後も、ブレルが息を引き取る1978年まで途絶えることはありませんでした。
ジャック・ブレルの35周忌にあたって制作されたこのアルバム『ジャック・ブレルを歌う』は、「今こそブレルに、あなたを愛していたことを告げる時だと思った」(2013/10/28付ル・モンド誌)とのコメントにあるように、まさに満を持して制作された渾身の1枚である。