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未来を想う歌・後編〜青空とカレーライス

2014.08.03

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前編に引き続き、今週も「農・食・音で世界を繋ぐ!」を合言葉に、自らを“ロックンロールファーマー”と名乗るシンガーソングライター、和気優が紡いだメッセージソング「青空とカレーライス」をご紹介します。 《前編はこちら》
後編では楽曲と共に、和気優の軌跡と活動内容に迫ります!
そのタフでエネルギッシュな“生き様”から、あなたは何を感じますか?
彼の歌声からどんな未来(FUTURE)を想像しますか?

平等(フェア)な社会。
一握りの権力者や国の都合で、何かが“隠されたり”“ねじ曲げられたり”“すり替えられたり”していない世の中。
青空の下で、美味しいカレーライスを笑顔で食べられる未来。
それは“あの場所”で暮している人達のことを、皆が忘れることのない未来でもある。

♪「青空とカレーライス」/和気優


青空とカレーライス その笑顔に
青空とカレーライス 眩しいエネルギー

学校帰れば誰もいない部屋
仕事に出掛けたお袋が
作り置いてくれた晩飯
一人で食った涙の晩飯

(♪「青空とカレーライス」より)

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■『和気優 魂の弾き叫びロード―前編』ドキュメンタリー(約15分)


■『和気優 魂の弾き叫びロード―後編』ドキュメンタリー(約10分)


【農・食・音で世界を繋ぐ!】

今やその活動はフランスやモンゴルなど世界へと繋がっている!


和気優の旗印「農」と「食」と「音」は、まさに人類の共通言語である。
人間が生活している地域には必ずその3要素が存在する。
しかし人生を豊かにしてくれるそれらも、扱い方を間違えれば凶器となりかねない。
言わば社会の縮図でもある。
彼はこの3つの旗印で世界を繋ぐ旅へ出ている。
日本から始まり、モンゴルを経て〜果ては南アフリカまで繋ぐプロジェクトだ。
旅の相棒は「バイク」と「ギター」のみ。
15年前、バイクに跨がりギターを背負って少年院を弾き叫び始めてから、手法は変わっていない。
まるで農と人類、種の起源を求めるような旅である。


【俺はどこから来た!?】

生まれたときから波乱の運命だった。


彼は10歳まで親の顔を殆ど知らずに育った。
父親は暴力団幹部で懲役をくり返し、たえず刑務所暮らし。
その間、彼は父親の実家で祖母と義理の祖父と共に暮らす。
しかし、そこでは義理の祖父から虐待とも言える仕打ちを受ける。
10歳になり両親と同居するが、その頃から父親は覚醒剤に手を染めるようになる。
覚醒剤で狂った父親は、家で暴力を振るうようになり、母親は自殺未遂をくり返す有り様。状況は荒みきっていた。
兄弟もいない彼にとって頼る術は「音楽」しかなかった。
「音楽」だけが孤独で疎外感に支配された生活の中で、時に父となり時に母となり、また時に兄弟や友人として、和気の心の拠り所となった。
中学一年生の夏、父親は覚醒剤密輸の主犯格として逮捕。
報道に大きく取沙汰され、新聞の一面をかざった。
母親は家を飛び出し、また戻ってきたものの、一人取り残された思いの消えない彼も非行へと傾いた。
窃盗/傷害/恐喝をくり返し、何度も補導されたが、当時の中学校校長が熱意のある保護司であり、そのサポートにより更生施設行きだけはまぬがれた。
そして転機が訪れる。

中学三年の夏、初めて父親の面会を秋田刑務所で経験した彼。
面会室、ガラス越しの父親の姿に愕然と“現実”を突き付けられた思いだった。
「あぁ、このままじゃマズイ…」
「このまま自分も父親のように落ちていったら、俺もお袋も社会の闇へと葬られてしまう。」
「俺たちは、なんて小さく弱い存在なんだ…」
それが“現実”だった。
嫌だ。
彼は決意した。
初めて、自分の足で一歩踏み出す覚悟を抱いた。
それは、まったく行くつもりのなかった高校へ進学しようとした決意だった。

以来、絶望と希望の狭間で、いつも彼を救い続けたのも「音楽」だった。
聴くだけではなく自ら歌い始めたのもこの頃であり、それは自然な成りゆきであった。
そして二十歳で上京。
93年、バンド“JACK KNIFE”でメジャーデビュー。
作家/プロデューサーとしてもヒットを飛ばし、東京は下北沢でダイニングバーを経営するなど全ては順風満帆であった。
そんなある時、またも転機が訪れる。

中学時代の親友が起こした殺人事件。
ニュースでその事件を知ったとき、何か強い使命感を抱くようになった。
自分が本当にすべきことがもっと他にあるんじゃないか?
そして歌うべき、向かうべき「場所」が必ずあるはずだ。
和気優にしか出来ない「行動」があるはずなのだ!
選んだ道は「少年院」で歌うことだった。
これは和気にしか出来ない「道」であることを悟った。
事件を起こした友人と彼は何も違わない。
どちらかと言えば彼の方がその可能性は大きかっただろう。
生まれ育った環境を考えれば、である。
しかし、彼がそうならなかった唯一の要因、それが「音楽」である。
確かに「音楽」は圧倒的な引力で彼を導いてくれていた。
そして今も尚「音楽」に救われ続けている。
もし自分に「音楽」がなかったら…考えただけでぞっとする。
それならば自分を救った「音楽」を、有りのまま伝えたい。
それには大きな意味があるはずだ!

そんな切っ掛けから始まった少年院慰問コンサートも今年で15年になる。
2008年には全都道府県120箇所以上16,000kmをバイクに跨がり、一気に弾き叫び切った。
更に現在は歌うだけに留まらず、少年院の卒院生を自らの店で雇用し、農園作業を通じて自立指導を行う傍ら、農家志望の若手を農村地へ輩出する活動を促進している。
一般の中学校や高校でのライブも始めている。
自分を信じる気持ちと、自分をあきらめない「生きる」を、一般の中学校などで歌を通じてメッセージしている!


【被災農家支援プロジェクト「ガレキに花を咲かせましょう」】

3.11は突然やってきた。


未曾有の惨事となった2011年3月11日の東日本大震災。
彼の農業仲間も数多く被災した。
その夏、千葉、茨城、福島、宮城、岩手、青森、北海道をバイクに股がりギターを背負って一気に駆け抜けた。
福島原発事故による放射能被害と風評に追いつめられた農民。
津波で全てを失った仲間たち…
バイクで路上から見た惨劇は、まるで戦場だった。
ところが、ところが、だ。
生きている。
まるでガレキに咲いた「花」のような人間たちが立ち上がっている。
こんなに痛めつけられても、こんなに叩きのめされても「生きる」を諦めない「花」のような人間たち。
この出会いが彼を大きく変えた。
2011年、彼にとって3度目の転機が訪れた。
人生が変わった瞬間だった。

陸前高田で出会った一人の農家青年・村田光貴(むらたこうき)さん。
村田さんは陸前高田でリンゴ栽培をしていた農家だったが、津波ですべて流された。
幸い生きることは出来たが、震災以降は毎日がガレキ処理で農業どころではなかった。
流されたリンゴ園も「借地」であることから農地に戻すことは叶わず、農業を諦めかけていた矢先、ツアー中の彼と出会った。
村田さんは言った「本当は農業を続けたい」
その思いに火がついた彼は、被災農家支援プロジェクトを立ち上げた。
農家が農業を諦めてしまうことだけは止めなくてはならない!
移住してでも農業を続けるべきだ!
彼は原発がなくエネルギー自給率日本一の、大分県に目をつけた。
そして大分の農家に声を掛け、集まった農民たちで村田さん移住移農のサポートを開始した。
大分県国東半島では農地や空家が提供された。
村田さんも本気になり、開けて2012年、陸前高田から1,500km離れた大分県国東市へ移住を果たした。
ココからが大変!大分では無肥料無農薬の「自然米」作りを目指すも、まるでノウハウ無い、機械無い、何よりお金無い…の無い物尽くしであった。
地元の仲間たちが生活必需家電等を提供。
宇佐の百姓チームが農機械を提供。
福岡の百姓夫妻が手取り足取りの技術伝承。
彼も傍からサポートするべく国東半島へ一旦移住した。
村田さん自身の農魂もあり、その年の秋お見事3.6トンの米の収穫までこぎ着けた。
これは“農の奇跡”である。
何一つ持たずにやってきて3.6トンの収穫。
ゼロから3.6トンは、まさに農業だから成せた偉業である!
あれから数年たち、村田さんは認定農家となり現在も米作りに邁進している。


【フェアトレードマーケット「あおぞらマルシェ」開催】

震災はもうひとつの切っ掛けをもたらした。


活動を通じて、彼はアンフェアな農の現状を見てきた。
特に福島の農家は悲惨極まりない。
中でも人間による風評被害は、おぞましい限りだ。
育て上げた生鮮の放射能検査を経て問題無しとしても、大手の問屋は手を引き、JAは無論、生協までも農民を切り捨てた。
この有り様は、社会の縮図だ。
世の中にはアンフェアな世界が渦巻いている。
しかし、足掻くだけでは何もならい。
彼は考えた。
こうなれば直接消費者に訴えかけるしかない!
こうして生まれたのが和気優理事長のNPO法人Agri-Connections主催の「あおぞらマルシェ」である。
まず下北沢から開催された。
福島の農家を中心に50ものオーガニックなブースが軒を連ねた。
会場には朝摘みの野菜が並び、予想を超える人手で賑わった。
ブースごとに消費者と生産者の直接取引がなされ、ひとりひとりの対話で風評の払拭を訴えかけた。
後で聞いた話、福島の農家が期待せずに来たのに、何軒もの契約が取れて信じられなかった!
と話してくれた。
その会場には村田さんの姿もあった。
彼にとっては大きな形への一歩となった。
あのガレキを走った日から1年…どうにかここまで具現化することが出来た。
3.11が教えてくれたこと、それは…

■「未来を想う歌・前編〜もしも明日があるならば〜」をご覧下さい
http://www.tapthepop.net/news/12959


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和気優『少年院ロックシンガー全国弾き叫びロード、16000km』

(2009/青志社)


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和気優『ある晴れた空の下』

(2008/DAIPRO-X INC)
※「もしも明日があるのなら」は未収録



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