『アマデウス』(AMADEUS/1984)
クラシック音楽の話題を口に出すと、上品だとか教養だとかいまだにそんな印象を持っている人が意外に多い。ピアノやバレエを子供に無理矢理習わせるというのもこれに近いと思う。要するに、こう見られたい。そう思われたい。純粋に音楽に取り憑かれることとは程遠い感覚を目にすることがある。「ジャズは何かオシャレだから」「美術鑑賞はデートコースの一環で」にも同じ臭いがするのは気のせいだろうか?
ブルーノートでモダンを演っていた偉大なジャズマンのほとんどは夜の世界に生きるアルコールや薬物中毒者だったし、ゴッホもモディリアーニも生きている時には何一つ評価されなかった。そしてクラシック音楽において最も有名と言ってもいいモーツァルトでさえ、当時は主流から外れまくった異端の音楽に過ぎなかった。誰もが悲しいくらい苦悩していた。
映画『アマデウス』(AMADEUS/1984)は、そのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの姿を通じて、現代人の文化や芸術に対する生ぬるい消費感覚を一蹴してくれるような、超一級のエンターテインメント作品だった。監督はミロス・フォアマン。撮影は冷戦の影響下だったプラハで行われ、アカデミー作品賞や主演男優賞をはじめ8部門を受賞。
幼少時代のモーツァルトは厳格な父親に連れ回され、猿回し的な神童ショーをヨーロッパ各地で行った。4才で最初のコンチェルト(協奏曲)、7才でシンフォニー(交響楽)、12才でオペラ(歌劇)を書いたと言われるモーツァルトは確かに普通の子供ではなかったが、この巡業期は大して問題ではないことがこの映画からも分かる。加えて変態で好色だったことも。
注目すべきは、モーツァルトの本当の才能が開花する20代と、反伝統的な彼の新しい音楽を理解できるはずがなかった当時のヨーロッパ貴族社会であり、何よりも心打たれるのは、借金と貧困と酒に溺れた30代(晩年)の生活と、彼の才能と弱点を唯一見抜いていた宮廷作曲家サリエリという男の存在。
私がモーツァルトを殺した。あいつは私の憧れだった。
物語は年老いたサリエリ(F.マーリー・エイブラハム )のそんな衝撃的な告白から始まる。彼は神父に向かって語っていく。噂でしか知らなかったモーツァルト(トム・ハルス)との出会い。それによって自分の才能が薄っぺらくて意味のないものになってしまったこと。信仰深い生真面目な自分がやがて神を激しく憎んだこと。神の創造物であるモーツァルトに殺意を覚え始めたこと。そして自分を見捨てた神への復讐を成し遂げること。痺れるほどの壮絶ストーリーだ。
映画の中で眩しいほどの輝きを放つのは、このサリエリがモーツァルトの才能に人知れず打ちのめされるシーン。言葉を並べるだけでもその美しさが伝わってくる。サリエリだけがこの革新的な音楽を理解していた。
出だしは単純で錆び付くような音。だが突然その上にオーボエが、自然に満ちた音色が響く。そしてクラリネットが引き継ぎ、甘くとろけるような調べとなる。“猿”に書ける音楽ではない。満たされぬ切ない想いが溢れていた。神の声を聞くようだった。
(置き去りにされた「管楽器のためのセレナーデ」の楽譜を見ながら)
信じられなかった。どこにも書き直しがない。書く前に頭の中で完成しているのだ。音符一つ変えただけで破綻が生じる。私は思い知らされた。神の声による響きなのだ。五線紙に閉じ込められた小さな音符の彼方に、私は至上の美を見た。
(モーツァルトの妻が内緒で持ち出したオリジナルの楽譜を手に取りながら)
4幕目は打ちのめされた。まことの赦しに満ちた音楽が劇場を包み、圧倒的な感動で観客の心は打たれた。神がこの男を通じて天上から世界に歌いかけていた。1小節ごとに私は敗北の苦さを噛み締めた。
(オペラ『フィガロの結婚』上演中)
サリエリを通じて描くモーツァルトの偉大さは、いよいよクライマックスを迎える。
暗く不吉なオペラ。墓から蘇る亡霊。私だけがその意味を理解した。亡霊は父レオポルド。死後も息子に取り憑いて支配していた。私は世にも恐ろしい方法を思いついた。ついに私は神を打ち負かせるのだ。
(オペラ『ドン・ジョヴァンニ』上演中)
そして、老いたサリエリは最後にこう叫ぶ。
凡庸なる人々よ! 私は凡庸なる者の守り神だ!!
Wolfgang Amadeus Mozart 1756.1.27-1791.12.5
Antonio Salieri 1750.8.18-1825.5.7
仕事がなく困っていたモーツァルトの妻が、内緒で楽譜を持ち出してサリエリに見せるシーン。
死にかけのモーツァルトの作曲活動を手伝うサリエリ。「レクイエム」だ。
*日本公開時チラシ
*このコラムは2014年12月3日に公開されたものを更新しました。
評論はしない。大切な人に好きな映画について話したい。この機会にぜひお読みください!
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