エレファントカシマシの宮本浩次がテレビ番組のなかで、こんな内容のことを言っていたという。
ボブ・ディランが「ライクアローリングストーン」を、”ライカロリンストッ”って吐きすてるように歌うたび、涙がブワーって出てきたんだ。
初期のボブ・ディランは〈吐きすて〉の歌の原点ともいうべき、新しいタイプのシンガー・ソングライターとして登場してきた。
確かにディランの特徴はビート詩人のように言葉を紡ぐのではなく、言葉をビートに合わせて吐きすてていくところにあった。
それによって聞き手の気持ちを遠くまで運んでいって、どこかで颯爽とした気分にしてくれる効果があったのである。
英語による歌詞の意味はまったくわからなくても、何かしかの思いは確かに伝わってきた。
それで自然に心地よくなったのは、言葉のつならりがビートとともに、音楽になっていたからだろう。
ディランに影響された日本のシンガー・ソングライターでは、とくに初期の作品において吉田拓郎にそれが顕著で、わかりやすい日常語の抑揚がそのまま音楽になり、しかも吐きすてるように歌われていた。
日本における〈吐きすて〉の歌の系譜において、吉田拓郎はシンガー・ソングライターの元祖的存在であり、そこへ同時代だった大瀧詠一や泉谷しげる、パンタなどがつながってくる。
宮本浩次の「ファイティングマン」は1988年3月21日に発売されたファースト・アルバム、『THE ELEPHANT KASHIMASHI』(1988年)の1曲目に入っている。
おそらくはアマチュア時代に書いた曲だと思われるが、ディランを聴いて「涙がブワーって出て」きたという冒頭の体験が、どこかしらに反映されているに違いない。
2017年に出した30周年記念のベスト盤『All Time Best Album THE FIGHTING MAN 』でも、宮本浩次は1曲目には「ファイティングマン」を選んでいる。
そしてインタビューでこう語っていた。
「ファイティングマン」「BLUE DAYS」などの初期の曲は、高校時代のやりきれない日々の繰り返しの中から生まれていて。
「やさしさ」という曲もそう。<何をしても どこに行っても 体が重たくて、今日もいつもと同じ>って歌っていた。
当時は17歳ぐらいで車の免許もないくせに、<おまえの町まで車をとばして>って歌ったり(笑)。
誰もが一生懸命生きているけど、やがては無残に年老いていくんだという意識であるとか、初期の歌の中にそうした要素が入っていて、それが土台となっているのは間違いないですね。
テレビドラマ主題歌としてヒットした代表曲の「今宵の月のように」の歌詞には、”吐きすてて”というフレーズが出てくる。
吐きすての歌が持つ力には、個人の思いをつぶやいて吐きすてることで、聴くものの心に溜まっていたやりきれない思いなどを、いつのまにか洗い流してくれるという効果がある。
積り重なっていくやりきれない日々のなかで、苦しい思いを独りで心の中に溜め込んでばかりいては、やがて耐えられなくなってしまう。
だからこそ、その前になんとか楽になるために友だちや肉親に悩みを打ち明けたりして、吐きすてていかなければならない。
それが〈吐きすて〉の歌が生まれる原点なのであり、シンガー・ソングライターの多くはそうした思いを作品にして、世の中に公開しているのだ。
もしも”涙がブワーって出て”くる歌に出会えたならば、自分で作品が書けなくても聴くことによって、あるいは一緒に歌うことによって心がいくらかでも楽になる。
(注)文中の宮本浩次の発言は、「今なお燃え盛るファイティング・スピリッツ――エレファントカシマシ・宮本浩次が語る、転がりつづけた30年の結晶 | SPICE 」からの引用です。全インタビューはこちらで読むことができます。
https://spice.eplus.jp/articles/107881

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