1952年に発売されたギブソン社にとって初となるソリッドボディ(中が空洞になっていない)のエレキギター、ギブソン・レスポール。
ジミー・ペイジやデュアン・オールマン、スラッシュ、ザック・ワイルドなど数多くのギタリストに愛用され、ストラトキャスターと並んでロック・シーンを彩ってきたロック界を代表するギターの一つだ。
このギターの名称は、当時全米で最も高い評価を受けていたギタリストの1人、レス・ポールからきている。
レス・ポールことレスター・ポルスフスは1915年、五大湖に面するウィスコンシン州のウォーカシャという町で生まれる。「ポルスフス」と言うのは舌を噛みそうになる、という妻の主張により、間もなくしてポルフスとなった。
楽器をはじめたのは8歳の頃、下水管工夫が休憩時間にハーモニカを吹いているのを興味深そうに見ていると、その工夫がハーモニカをレスに譲ってくれたのだ。
夢中でハーモニカの練習をしたレスはめきめきと上達していき、地元の演芸コンテストで優勝を果たすほどの腕前になる。
レスは機械への好奇心が人一倍強く、自動演奏ピアノや掃除機など気になったものはすぐに分解してその構造を調べる癖があった。
その経験は、のちにディレイや8トラックレコーディングといった発明へとつながり、現代におけるレコーディングの礎となっていく。
そんなレスがギターと出会ったのは12歳の頃、ラジオから聴こえてくる弦楽器の音に興味を抱くと早速ギターを手に入れ、1年が過ぎた頃には人前で演奏するようになる。
その後はバンドに入って各地を巡業したり、ラジオ局で演奏する仕事に就いたりしながらジャンゴ・ラインハルトやチャーリー・クリスチャンといった凄腕のギタリストたちと出会い、レス・ポールもまた彼らと比類するギタリストとなっていくのだった。
そして1948年、世界の誰も成し得なかったであろう1人で7回もギターを重ねて制作された「ラヴァー/ブラジル」をリリースする。
独学で身につけた機械の知識と卓越したギター・テクニックによって生まれた、誰も聞いたことがないその全く新しい音楽は、全米チャート22位のヒットを記録、レス・ポールの名はアメリカ全土へと知られていくのだった。
1949年に歌手のメリー・フォードと結婚をすると、その後はレス&メリーとして「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」や「バヤ・コン・ディオス」など数々のヒット曲を放ち、レスの人気は全盛をきわめていく。
その頃、世間では少しずつではあるがエレキギターが注目を集めつつあった。
そして1952年、アメリカのギブソン社はボディの中身が空洞になっていないソリッド式のエレキギターの開発に本格的に取り組み、1年間をかけて新しいギターを開発する。
メイプルとマホガニーという2つの木材を合わせて作られたそのギターは、重いという難点こそあったが音の出来には自信があったので、あとはどうやって宣伝するかだった。
そこで宣伝塔として選ばれたのが全米屈指のギタリストとして名を馳せていたレス・ポールだ。その新しいギターを弾いてみたレスは音に満足し、いくつかの注文を出すとともに自分の名を付けることを了承するのだった。
ところが1950年代後半にロックンロール・ブームが到来すると、それまで順風満帆だったレスの人生は一転してしまう。
レスのレコードはあっという間に売れなくなってしまい、1961年にはギブソン社がレスポールの生産を終了、翌1962年には妻のメリーと離婚、さらには関節炎を発症してギターの演奏に支障をきたしてしまう。こうしてレスは表舞台から姿を消していくのだった。
そして時が経ち。
1970年代前半のある日、レスのもとに高校生から学校の講堂でコンサートをしてほしいという依頼がきた。
当時のアメリカで人気だったのはレッド・ツェッペリンやグランド・ファンク・レイルロード、そんな時代を生きる少年少女に自分の音楽がウケるとは到底思えなかった。
ところがレスを待っていたのは、高校生たちの熱烈な歓迎だった。レスが人気を失っていた一方で、ギターのほうのレスポールは、エリック・クラプトンがブルース・ブレイカーズ時代にマーシャル・アンプと組み合わせて使用したことによって脚光を浴び始め、1968年に生産を再開していた。
ロック界の名だたるギタリスト達が愛用している「レスポール」の名は、レス自身が想像をはるかに超えて大きなものになっていたのだ。
「大ウケだったよ。そして、次にはイリノイ州の大学から呼ばれて出掛けたんだ。ステージに出て行くと、まだ何も弾いていないのに、皆立ち上がって大歓声なんだ。もう、びっくりしてしまったよ」
こうしてレス・ポールは本格的に表舞台へと戻り始める。
その後は10年以上ぶりにテレビに出演したり、様々なコンサートにゲストで招待されたりなど、レスの再スタートは充実したものになった。
以来、晩年まで現役のギタリストとして演奏を続け、2009年にその生涯に幕を閉じた。
亡くなる2年前には公開された映画『レス・ポールの伝説』には数多くのミュージシャンがコメントを寄せており、レスがロック・シーンに与えた影響の大きさを計り知ることができる。
彼は俺たちに最高のオモチャを与えてくれた
キース・リチャーズ(ミュージシャン)
ビートルズの初めてのギグは
レス・ポールの「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」だった
ポール・マッカートニー(ミュージシャン)
彼のレコードは傷だらけになるまで聴いた、
聴こえなくなったら逆再生で聴いて研究した
ジェフ・ベック(ミュージシャン)
彼は生きた伝説だ、オレのヒーローだよ
B.B.キング(ミュージシャン)
彼がしてくれた事が無ければ、
自分は今していることの半分も出来なかった
エディ・ヴァン・ヘイレン (ミュージシャン)
エレキギターに与えられたその偉大なギタリストの名は、これから先も決して忘れられないことだろう。
参考文献:『レス・ポール伝 : 世界は日の出を待っている』メアリー・アリス・ショーネッシー著/大谷淳訳(リットーミュージック)
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