「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the CHANGE

ジョン・フォガティが魅せられた南部の情景と母親から教わった音楽

2024.01.12

Pocket
LINEで送る

1960年代後半に、アメリカ南部の泥臭さを感じさせるスワンプ・ロックで人気を博したロックバンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)のフロントマン、ジョン・フォガティ。

1972年に解散してソロに転向してからは、レコード会社とのトラブルに巻き込まれ、思うように活動できない時期もあったが、それでも作品を発表する度に高い評価を受けてきた。

2014年にはCCR時代の楽曲「フォーチュネイト・サン」をフー・ファイターズとともにセルフ・カヴァーしたのをはじめ、様々なアーティストをゲストに迎えたアルバム『ソング・フォー・エヴリワン』が話題となった。


そんなジョン・フォガティが一番影響を受けたアーティストとして挙げているのが「アメリカ音楽の父」と称される19世紀の作曲家、スティーブン・フォスターだ。

それはジョン・フォガティが3歳の頃だった。
ある日、母親が「子どものための音楽」と言って、1枚の小さなレコードを聴かせてくれた。

誰が歌っていたものかは思い出せないが、片面には「おおスザンナ」が、もう片面には「草競馬」が収録されていたという。
そのときに母親は「スティーブン・フォスターという人が書いたのよ」と説明してくれた。

「なぜ母がそれを教えるべきことだと思ったのか、見当もつかない。でも、その教えは、人生を変えるほどの、素晴らしいものだった」


のちに南部のフィーリングに惹かれていくことになるジョン・フォガティだが、そのルーツが幼少時に教わったスティーブン・フォスターの音楽だったことに気づいたのは、ずっと後になってからだという。


ジョン・フォガティは、自身とスティーブン・フォスターの共通点として、アメリカ南部に行ったことがない時期に、南部を舞台にした曲を多く書いた点を挙げている。

ミシシッピ川の河口に位置するルイジアナ州をはじめ、アメリカ南部にはミシシッピ川に隣接して広大な湿地帯が広がっている。
CCR時代の「プラウド・メアリー」や「グリーン・リバー」といったヒット曲は、そうした南部を舞台にした泥臭いサウンドが印象的だが、この頃のジョン・フォガティは実際に南部の沼地を見たことがあるわけではなかった。


そしてスティーブン・フォスターもまた、「故郷の人々」などアメリカ南部で暮らす黒人奴隷を描いた歌を残しているが、それらの曲を書いたときには実際に南部に行ったことはなかったという。


彼らの描いた南部は、いわば空想上のものだ。
本物以上に誇張された部分もあれば、反対に本場のようなアクの強さがなかったりもする。
しかし、だからこそ彼らの音楽は、多くの人たちに受け入れられる音楽になったのかもしれない。

※ジョン・フォガティの発言は「American Songwriter」からの引用です


●購入はこちらから
●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the CHANGE]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ