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ニール・ヤング Don’t Be Denied 僕を否定しないで〜小児麻痺の後遺症、学校でのイジメ、両親の離婚、音楽への目覚め

2019.11.12

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僕が小さな少年だった頃 ママは僕にこう言った
「あなたのパパは今日出て行ったわ」と
僕はてっきりどこかへちょっと泊まりに行ったくらいのもんだと思ってた
僕たちは荷物をまとめてウィニペグまで車で下って行ったんだ

ウィニペグに着くと僕は学校の入学手続きを済ませた
僕は白い革靴を履いていた
そして僕はすぐにその学校における“黄金の掟”を知ることになる
学校の中庭で仰向けになった僕に
強く早いパンチが繰り出される

僕を否定しないで 否定しないで
否定なんかしない 否定なんかしない
否定しない 否定なんかしない


1945年11月12日、彼はカナダ・オンタリオ州トロントで生まれた。
父親はジャーナリストで、当時『トロント・グローブ・アンド・メイル』紙の有能なスポーツ記者だった。
母親はドーターズ・オブ・ジ・アメリカン・レボリューション(アメリカ革命の娘という意味で、アメリカ独立戦争当時の精神を継承しようとする女性団体)の会員だった。
彼には二歳年上の兄がいて、一家は彼が4歳の時に同じオンタリオ州のオメミーという街に引っ越すこととなる。
幼い頃から病弱だった彼は、しばしば癲癇(てんかん)の発作に見舞われ、その度に生命の危機にさらされていたという。
6歳の時に小児麻痺を患い、足に後遺症を残すこととなる。
その後、一家はアメリカのフロリダ→再びカナダのオメミーへと引っ越しをしている。
転校を繰り返す度に、内向的だった彼は学校でイジメにあうようになる。

「その頃から僕はラジオ放送から流れるポピュラーミュージックに興味を持つようになったんだ。ラジオが友達になったんだ。」

1958年、彼が13歳の時に父親と母親が離婚をする。
それぞれ兄弟が父親のもと、母親のもとに引き取られる形で話がついたという。
彼は母親と共に暮らすようになり、離婚後はウィニペグ→トロント→ピカリングへと引っ越しを繰り返すこととなる。
両親の離婚が決まった年のクリスマスの日に、彼は(これから離れて暮らすこととなる)父親から、その後の人生を変えるプレゼントを受け取る。
それはプラスティック製のウクレレだった。
彼の家系に音楽家がいたわけではないが、父親や叔父は趣味でウクレレを弾いていた。
彼はそのウクレレを今でも大切にしていて、特別な愛着を持っているという。

「僕は父に教わって、まず3つのコードを覚えたんだ。凄い興奮だったよ。そのコードを使って“Blueberry Hill”や“On Top Of Old Smokey”など、素晴らしい曲を習ったんだ。」



翌年、彼はウクレレをバンジョーに持ち替え、さらにその年のうちに中古のアコースティックギターを弾くようになった。
母親は彼がギターに夢中になることを喜んだという。
ジャーナリストだった父親が「音楽よりもまずは学歴を!」という考えだったのに対して、母親は彼の音楽的才能を伸ばすために誰よりも応援していた。

「ニールには音楽で勝負してみるだけの才能があったと確信していました。そのための努力ならば怠らなかったし、私がニールの最初のファンでした。」

当時、母親は『トゥエンティー・クエッションズ』というカナダのテレビのクイズ番組でパネリストをしていた。
いわばエンターテイナーに近い仕事をしていたため、ミュージシャンという職業が成功すれば実にうま味のある仕事だということを知っていたのだ。
彼は母親の理解と応援もあり、しだいにロックンロールやロカビリー、ドゥーワップ、R&B、カントリー&ウエスタンなど幅広い音楽に夢中になっていく。
その中でも特に熱中したのがエルヴィス・プレスリーだった。
後に彼の楽曲の中に、エルヴィス(King)の名前などが出てくるくらいに、その音楽とカリスマ性に影響を受けたという。


エルヴィスの他にその頃の彼に影響を与えたミュージシャンは以下の名前があげられている。
ジョニー・キャッシュ、ロイ・オービソン、チャック・ベリー、ジェリー・リー・ルイス、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノ、リンク・レイ、ジミー・ギルマー、クリフ・リチャード&シャドウズ、ハンク・マーヴィン、シャンテルズ、ザ・モノトーンズ、ロニー・セルフ、フリートウッズなどなど…


中学の時に初めて”Jades”というバンドを組み、その後、ウィニペグのケルヴィン高校へ進学。
高校生となった彼は、いくつかのロックバンドで活動するうちに「音楽の道へ進みたい」という気持ちが高まり、高校の最終学年の時に”The Squires”というバンドに加入する。
The Squiresは地元ウィニペグではかなりの人気グループへと成長していく。
彼らの活躍を裏で支えたのは、ニールの母親だった。
宣伝、ラジオ局や音楽評論家への売り込み、契約代理人…最終的にはバンドのアレンジやソングライティングにも手を出すようになったという。
彼はそんなバイタリティ溢れる母親の期待と応援を一身に受けながら、徐々にオリジナルソングを作って歌うようになる。
その後、彼はボブ・ディランの影響でソロとして活動に専念するようになり、The Squiresを去ることとなる…

でもすぐ友達が出来た
ギターを弾き始めた
僕たちは学校の階段に座りながら
スターになることを夢見たんだ
バンドを始めて一晩中演奏した

僕を否定しないで 否定しないで
否定なんかしない 否定なんかしない
否定しない 否定なんかしない



<引用元・参考文献『ニール・ヤング―孤独の旅路』ジョニー ローガン(著)水木まり(翻訳)/大栄出版>

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