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エルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」が日本で発売された日

2019.12.01

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1972年(昭和47年)12月1日、エルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」(東芝音工)が日本で発売された。
同年の国内ヒットソングといえば…
1位「女のみち」/宮史郎とぴんからトリオ
2位「瀬戸の花嫁」/小柳ルミ子
3位「さよならをするために」/ビリーバンバン

札幌冬季オリンピック、ミュンヘンオリンピックが開催され、自動車に初心者マーク登場、東北自動車道が開通、そして連合赤軍によるあさま山荘事件がおこった年でもある。


憶えているよ…ロックが流行り出した頃のこと
僕とスージーには沢山の楽しみがあった
手を取り合い お金も使いまくって
中古だけど金色のシボレーは自慢だった
でも一番強烈な刺激はクロコダイル・ロックだった
他のガキどもがロック・アラウンド・ザ・クロックに夢中だった頃
僕らはクロコダイル・ロックにノリノリだったんだ


■Rock Around The Clock(ロック・アラウンド・ザ・クロック)
1950年代のロックンロールブームの先駆けとなったビル・ヘイリーの代表曲



1971年、24歳になったエルトンは短期の北欧ツアーを終えた後、長期にわたって北アメリカツアーに時間を費やした。
自身の代表曲となった「Your Song(僕の歌は君の歌)」(1970年)の大ヒットもあり、彼の生活は財政面も含め、大きく変わってきた時期だった。
自他共に認める彼の「浪費癖」「収集癖」は、止まることを知らなかったという。
十代の頃から情熱を燃やしてきたレコード収集はもちろんのこと、1972年にはロンドンから車で45分ほどの距離にあるバージニア・ウォーターに家を買い“ヘラクレス”と名付けた。
その他、古美術骨董品、絵画、指輪、時計など、気に入ったものがあればかたっぱしから買い漁っていた。
皮肉なことに、音楽活動が順調に進んでいたこの時期、彼の精神状態はとても不安定なものだったという。
レコード会社DJM(ディック・ジャームズ・ミュージック)との契約で、彼は年に二枚のアルバムを発表しなければならなかった。
そんな窮屈な約束事が彼の精神を追い込んでいたのだ。
1972年5月、なんとかアルバム『ホンキー・シャトー』を発表。
続く6月〜7月には、新作『ピアニストを撃つな!』のレコーディングに取り掛かった。
生まれつき音感の鋭いエルトンは、早い時には(バーニー・トーピンが書いた歌詞に対して)数分間で曲をつけることもあったという。
この時も、その類い希な才能をフルに発揮して、なんと20曲もの曲をわずか2日で完成させたのだ。
エルトンの張り詰めた精神は今にもプツンと音を立てて切れそうになっていた。
音楽については不安要素などかけらもなかったが、精神面においてはもう限界に達していた。
25歳になった彼には、とにかく休養が必要だった。
夏に計画されていたイタリアツアーは中止された。
それから数ヶ月…仕事から離れて英気を養ったあと、1972年の後半には3ヶ月にもおよぶアメリカツアーに臨むこととなった。
同年の年末には、新作アルバム『ピアニストを撃つな!』からの先行シングルを発売する流れが組まれていた。
アルバムに収録された10曲の中からどの曲を選ぶのか?エルトンとバーニー、そしてDJMの経営者ディック・ジャームズとの間で話し合いの場が持たれた。
エルトンとバーニーは同じ意見だった。

「友情や悲哀を深く表現したバラード“ダニエル”がふさわしいだろう。」

ディック・ジャームズは、ビートを活かしたロック調の「クロコダイル・ロック」を推した。
この時は、作り手の意見よりも売り手の意見が優先された。
こうしてシングルカットされた「クロコダイル・ロック」は、ディック・ジャームズの“読み”通り全米ヒットチャート1位に輝いた。
この時期、彼らにとってアメリカでトップになるということは、イギリスのチャートを制することよりもはるかに価値があったという。
「クロコダイル・ロック」もまた、「Your Song(僕の歌は君の歌)」とは違ったエルトンの新たな代表曲として世界中で広く愛されることとなる。
この歌は、エルトン・ジョンがオーストラリアのツアー中に知った地元のバンド(Daddy Cool)の楽曲「イーグル・ロック」からインスパイアされたものだという。



そうさクロコダイル・ロックはすごいヤツなんだ
じっとなんかしてられない
あんなに楽しいものはなかったし
これからもないと思うよ
”ラウディ・ママ”が流れる金曜の夜に
スージーがドレスをばっちりキメれば
”クロコダイル・ロック”に勝てるものなどなかったのさ

でも月日は流れて…ロック音楽はすたれてしまった
スージーも僕を置いて出て行き
誰か外国の男と付き合ってるらしい
長い間レコードを聴いて泣き暮らしたよ
シボレーと履き古したブルージーンズを懐かしんでね


■Hey Lawdy Mama(ヘイ・ラウディ・ママ)
1934年にブルースシンガー バディ・モスによって歌われたブルースの曲




<引用元・参考文献『伝記 世界の作曲家(14)エルトンジョン』ジョン・オマホニー(著),橘高弓枝(翻訳)/偕成社>

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