「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the ROOTS

「タイニー・ダンサー」に重なる2つのイメージ~エルトン・ジョンとバーニー・トウピン

2019.05.23

Pocket
LINEで送る

きつく抱きしめておくれ
タイニーダンサー
ハイウェイのヘッドライトを
数えよう


 エルトン・ジョンの映画『ロケットマン』が公開されてから、再び火がついたのは「ユアソング」でも「キャンドル・イン・ザ・ウインド」でもなく、1971年に発表されたアルバム『マッドマン』の冒頭を飾る曲「タイニー・ダンサー」だった。

ブルージーン・ベイビー
L.A.レイディー
バンドのお針子さん


 この曲は、作詞を担当したバーニー・トウピンのガールフレンド、マキシン・フェイベルマンに捧げられたもの、ということになっている。楽曲のクレジットには(マキシンに愛を込めて)と追記されているからである。

 1970年、エルトンとバーニーは、初のアメリカツアーに出たが、マキシンもバンドと共にツアーを回っていた。そして、バンド・メンバーの衣装の綻びなどを繕い、エルトンのファッションの相談にも乗っていたと言われている。

バレリーナ
見たことがあるはずさ
彼女が砂漠で踊っているのを


 佐野元春が「アンジェリーナ」を発表した時

アンジェリーナ
君はバレリーナ


 という歌詞を聞いて、ニヤッとした人は少なくなかったはずである。

 当時、西海岸の女の子たちは、股下の浅いブルージーンズをはき、フリルのついたブラウスを着て、軽やかに歩いていたのだ。
 バーニー・トウピンは、ガールフレンドのために書いた歌だと認めつつ、彼がロスで出会った女の子たちのイメージを重ね合わせたのだと語っている。

ロスのサンセット・ストリップあたりの洋服屋にいる女の子たち。彼女たちは、エーテル(空気)のようで、セクシーだった。私がイングランドで見てきた女の子たちとは、まるで違っていた。時には母親のようで、時にはベッドを共にしてくれるように思えた。ある種の、エディプス・コンプレックスを満たしてくれるような存在だった。


 バーニーとマキシンは1971年に結婚し、5年後に別れている。エルトンの人気に陰りが見え始めるのは、その頃のことだ。





Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the ROOTS]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ