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ハリー・チェイピンを偲んで〜慈善活動に尽力した“歌うストーリーテラー”の足跡と功績

2019.07.16

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1981年7月16日、完成度の高い歌詞で“ストーリーテラー”とも呼ばれたアメリカのシンガーソングライター、ハリー・チェイピン(享年38)が突然この世を去った。
チャリティーコンサートを行う為にマンハッタンへ車で向かう途中、
ニューヨーク近郊の高速道路(ロング・アイランド・エクスプレスウェイ)で交通事故に遭い、ヘリコプターで病院に運ばれ蘇生が試みられたが…彼の意識が戻ることはなかった。
彼は、飢餓と貧困の撲滅を目的に『World Hunger Year(WHY) 』という慈善団体を設立した人物でもある。
環境問題にも取り組み、様々なチャリティーを行いながらコンサートの売上げを寄付するなど、その活動を通じて常に政治的なメッセージを発信し続けていた。
彼の死後、その慈善活動は引き継がれ『ハリー・チェイピン記念基金』が設立されるまでとなった。
その活動に興味を持ったハリー・ベラフォンテ(アメリカを代表する音楽家・俳優・社会活動家)が提唱者の一人となり、アフリカ飢餓救済のためのベネフィットソング「We Are The World」へと繋がっていったのだ。



1972年(当時30歳)に1stアルバム『Heads & Tales』(エレクトラ)でデビューした彼は、ジェイムズ・テイラー、エルトン・ジョン、キャロル・キング、ギルバート・オサリバン、ビリー・ジョエルなど1960年代後半から頭角を現し始めたシンガーソングライター達の一歩後ろを歩くように登場したアーティストである。
二十代の頃には、ボクシングを題材にしたドキュメンタリー映画『Legendary Champions』を監督してアカデミー賞候補になったり、映画『Blue Water, White Death(青い海と白い鮫)』のサウンドトラックを担当したりもしている。
デビュー後の1970年代半ばからは、ソングライターとしてアメリカ国内において注目を集める存在となった。
1stアルバムからシングルカットした「Taxi」がボストンのラジオで頻繁に流されるようになり、ローカルヒットを記録。
1973年に発表した3rdアルバム『Short Stories』では、物語性のある楽曲(歌詞)が高い評価を得る。
1974年には4thアルバム『Verities & Balderdash(真実と戯言)』からのシングルカット曲「Cat’s in the Cradle(ゆりかごの猫)」で遂に全米チャート1位を獲得する。
アメリカで作品がナンバー1ヒットとなり32歳の若さで彼は富裕層となるべく印税を手にする。
しかし、彼は入ってくる印税のほとんどを寄付と福祉にあてた。
翌1975年にはWHY(World Hunger Year)という慈善団体を設立し、飢餓と貧困の撲滅をめざす活動をスタートさせる。  
彼の死後、妻サンディーはこう語っている。

「ハリーは、貯蓄というものに全く関心がありませんでした。お金は人々のためのものだというのが口ぐせで、手元に残そうとはしませんでした。」

その後、彼が音楽活動を通じて寄附にまわした金額は総計300万ドルを超えたという。
全米1位を記録した代表曲「Cat’s in the Cradle(ゆりかごの猫)」は、彼が31歳の時に妻のサンディーとの共作したものだった。
この歌のサビでは、詩的なメタファーを用いながら“すれちがう親子”の会話がこんな風に描かれている。

ゆりかごの中の猫と、銀のスプーン
小さな男の子の憂鬱と、月に住んでいる男
パパはいつお家に帰ってくるの?坊や、いつ帰れるかわからないんだ
だけど、帰ったら一緒にいよう
その時は楽しい時間になるぞ


“the silver spoon(銀のスプーン)”は、「良い家庭に生まれてきた」ということを表す言葉。
“Little boy blue(小さな男の子の憂鬱)”は、イギリスの伝承童謡集『マザー・グース』の唄にでてくる少年のこと。
そして“the man in the moon(月に住んでいる男)” も、同じ童話に登場する人物のことらしい。
彼と妻のサンディーは、この歌詞にどんな想いを込めたのだろう?
息子の誕生、成長、巣立ち、そして歳老いた自分が“あの日の自分”と重ね合わせる息子の姿。
教訓と風刺を織り込んだ、実によく出来た“童話”のような歌である。

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