1984年2月のとある日の明け方。ブルース・スプリングスティーンはニューヨークのホテルの1室で1人、ギターを抱えて曲を作っていた。
制作中のアルバム『Born in the U.S.A.』は、天才エンジニアと呼ばれるボブ・クリアマウンテンの手により、ほぼ完成に近づいていた。
二年以上も続いたレコーディングの中で作られた歌は70曲にも及び、そこから候補曲が十数曲ほど選ばれて、あとは最終的な選曲を残すのみという段階だった。
にも関わらず新曲にトライしていたのは、前の日にマネージャーであり、親友でもあるプロデューサーのジョン・ランダウから、
「オープニングを飾るにふさわしい歌、ヒット間違いなしのシングル曲がない」
という言葉を聞かされたからだった。
自宅でアコースティック・ギターとハーモニカだけで録音された前作、『Nebraska』も支持してくれた熱心なブルースのファンのためには、『ああ、これぞブルースだ!』と言ってもらえるような会心のシングル・ヒットが必要だと、ジョンはこの期におよんでブルースに迫ったのである。
怒りを爆発させたブルースはジョンに言い放った。「俺はもう70曲も書いたんだ。また別のが欲しいんだったら、自分で書けよ!」と。
しばしば議論することはあっても、滅多なことで感情的になることのない二人が、正面から衝突したのは珍しいことだった。
夜中に仕事を終えてホテルに戻ったブルースは、明け方になってジョンとの激しいやりとりを思い返して、ギターを手に簡単なリフを弾きながら思いついたフレーズを口ずさんでみた。
「朝起きると……」と歌い、「いや、俺は朝には起きないな」と歌い直す。
夕方に起き出しても 何も言うことなんてない
朝 家に帰り 結局同じような気分で布団に入る
ただただ疲れているだけ 自分自身にうんざりするだけなんだよ
ベイビー 少しばかり手を貸してくれないか
ブルースはその時のことをこう語っている。
「まるでハートが直接、口から出てしゃべっているようだったよ。いちいち脳を通らないでね。サビの言葉が俺の中からほとばしり出たんだ」
積もり積もったうっぷんを一気に吐き出したかのような 「Dancing in the Dark」は、等身大で最新のブルースがそのまま詰まったような曲になった。
6月に発売されたアルバム『Born in the U.S.A.』は全米1位に輝き、シングルの 「Dancing in the Dark」も全米2位と、アルバム・アーティストだったブルースにとっては過去最大のシングル・ヒットとなったのだ。

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