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「カムバック・スペシャル」で完全復活を果たすまで①~エルヴィスに向かって放たれたジョンの単刀直入な言葉

2018.09.07

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ハリウッドにあるエルヴィス・プレスリーの自宅で、ビートルズとの世紀の対面が始まったのは1965年8月27日の夜だった。
ビートルズの広報を長年にわたって担当していたトニー・バーロウは、憧れのヒーローに会うことで神経質になっていた4人が、実際にはどうだったのかについて回想録でこう記していた。

エルヴィスとビートルズの両者が向かい合った瞬間、部屋の中にぎこちない沈黙が広がった。ほんの数秒間が数時間にも感じられたそのとき、イギリス・チームは周囲を見渡し、誰かが動くなり話すなり、何らかの動きがあるのを待っていた。そこへジョンが、エルヴィスに向かって明るく話しかけたのだ。それを見届けたパーカー大佐はブライアンの方にその太い腕をまわし、その場から離れようとうながした。


しばらくしてからエルヴィスはぎこちない状況を好転させるために、楽器を持ってくるようにと指示して、ビートルズのメンバーにギターを手渡した。
一緒にエルヴィスの曲を演奏してみると、彼らは少し生き生きとした雰囲気になった。
頭を悩ませながら言葉を選んで話すより、音楽を演奏したほうが余計な気遣いをせずにコミュニケーションができたのだ。

やがてエルヴィスがベースを弾いてビートルズの「アイ・フィール・ファイン」を歌い出し、セッションが終わるとやっとお互いにリラックスした。


トニーの観察によればメンバーの中で一番楽しそうだったのがジョンで、それからは子供時代のヒーローに矢継ぎ早の質問を投げかけた。
そしてエルヴィスが警戒していた領域にまで踏み込んで、あえて痛いところを突く質問をしたのである。

「どうして最近はやわなバラードばかりなんですか?」
「ロックンロールはどうしたんですか?」




1960年に兵役から復帰して映画に主軸をおいて活動を始めてから5年、作品の質的な低下とマンネリ化によって、エルヴィスの映画からは次第に精彩が失われつつあった。
それでもファンは映画を観るために劇場に足を運んでくれたが、映画と抱き合わせて制作されたサウンドトラックのアルバムからは、大きなヒット曲は出なくなってしまった。

そこへ世代交代のようにビートルズが現れて、1964年から65年にかけてアメリカのヒットチャートを席巻したのである。
エルヴィスは自分のフォロワーが登場してきたことを喜ぶと同時に、初めて現れた強力なライヴァルとして、ビートルズに脅威を感じていたのは間違いない。

しかもビートルズは映画にも進出して成功し、ハリウッド資本による第2作『ヘルプ!4人はアイドル』を完成させたところだった。



トニーはその辺りの流れを冷静に分析していたので、「私が見ていた限り、エルヴィスもあまり自信なさげに見えたのだ」と、正直に印象を述べている。

おそらくエルヴィスはその日、自分が夢中で歌っていたサン時代のレコードが好きだったというジョンに対して、大先輩として振る舞いたかったであろう。
当時の仕事に自信を持っていたならば、それなりに余裕のある対応ができたかもしれない。

しかし真剣な目なざしで単刀直入に切り出したジョンに対して、「聞いてくれ、私が映画のサウンドトラックにかかりきりで、立ち往生しているからといって、これ以上ロックンロールできないわけではないではない」と、憤然として答えるのが精一杯だった。

それから「(ロックンロールを)何曲かレコーディングして、君たちをトップから引きずり下ろしたっていいんだ」と、ムキになったように付け加えた。

エルヴィスは少年時代からの憧れだった自分に対して、明らかに落胆した表情を隠さないジョンの態度に、礼儀知らずとの思いを感じていたであろう。
しかしジョンが口にしたのは皮肉ではなく、純粋な疑問であり、その言葉の奥には愛が込められていた。

ロックンロールで金字塔を打ち立てたエルヴィスが兵役から除隊してシーンに復帰したとき、大人のバラードシンガーに変わったエルヴィスに失望して、多くのロックンロール・ファンが去ってしまった。
そして彼らは自らがエルヴィスのようになろうと思って、ギターを手にとって音楽を始めたのだった。

そうした人たちの思いを正直に代弁し、ジョンは誰一人として本人には言えなかった言葉を、初めて面と向かって伝えたのである。
ジョンのまっすぐな言葉はエルヴィスの将来のためにだけでなく、そしてビートルズにおける自分自身の音楽活動においても役立っていく。

不躾すぎるジョンの質問でエルヴィスは憤然たる思いにさせられたが、内容が的を射たものであったことについては、不愉快ながらも納得せざるを得なかったであろう。

パーカー大佐が独特の勘によって押し進めたことから実現したスーパースター同士の対面は、音楽の仕事に情熱を失っていたエルヴィスの心に火を灯して、新しい闘志を燃え上がらせる方向へと導いていった。

その第一歩が1966年の5月にナッシュビルで行われたアルバム制作で、エルヴィスは自分の意志でスピリチュアル・ソングのアルバム『偉大なるかな神(How Great Thou Art)』を完成させるのだ。


<参考文献>・トニー・バーロウ著 高見展・中村明子・越膳こずえ・及川和恵 訳『ビートルズ売り出し中! PRマンが見た4人の素顔』 (河出書房新社)
・アラナ・ナッシュ著 青林霞訳 赤沢忠之監修「エルヴィス・プレスリー-メンフィス・マフィアの証言-上」(共同プレス)
・クリス ハッチンス&ピーター トンプスン 著  高橋 あき子 訳「エルヴィス・ミーツ・ザ・ビートルズ」(シンコーミュージック)


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