街の歌

カントリーロード〜70年代のアメリカを代表する大ヒットソングの誕生秘話〜

2017.10.12

Pocket
LINEで送る

誰もが一度は胸に抱く都会への憧れ。
進学、就職、または夢を追いかけて…故郷から旅立ってゆく人々。
その多くの者達が、ある時期必ず想うことがある。
「故郷へかえりたい!」
70年代、そんな望郷の想いを歌ったアメリカの楽曲が大ヒットした。
オリビア・ニュートン=ジョンのカヴァーよって日本でも広く知られることとなったその歌は、世界20カ国以上の国々で愛され、イギリスでは“ドライブの時に聴きたい歌”のナンバーワンに選ばれているという。


カントリーロード 僕を連れていってよ
僕が育ったあの場所へ
ウェストバージニアの母なる山々へ
僕を連れていってよ カントリーロード


通称「カントリーロード」として知られているこの「Take Me Home, Country Roads(邦題:故郷へかえりたい)」は1971年に発売され、ビルボードで全米2位を記録した大ヒット曲である。
70年代のアメリカを代表曲するフォーク&カントリーソングとして親しまれ、歌詞に繰り返し“ウェストバージニア”が登場することから、2014年にはウェストバージニア州の4番目の州歌となった。
そんな「カントリーロード」は、いったいどんな風に誕生したのだろう?
それは1970年の出来事だった。
ジョン・デンバーはシンガーソングライターとして崖っぷちに立っていた。
前年にRCAから念願のソロデビューを果たしたものの、鳴かず飛ばずのまま契約のリミットを迎えようとしていた。
「カントリーロード」と言えば、ジョン・デンバーの大ヒット曲として一般的に知られているが、彼が一人で作詞作曲したのではなく、作詞にビル・ダノフ、作曲にはタフィー・ナイバートがそれぞれ共作者としてクレジットされている。
当時ビルとタフィーはワシントンDCにあるジョージタウン大学の学生で“ファット・シティ・バンド”というバンドを組んで小さなライブハウスで歌っていた。
数枚のレコードも発表していたけれど、ジョンと同じくヒットには恵まれていなかった。
彼らの将来性を見込んだプロモーターが、ある日「男女2人組のアコースティックデュオとなってジョン・デンバーのライブの前座をしないか?」と声をかけた。
それがきっかけでジョンとビルとタフィーは一緒に仕事をする仲となる。
3人で各地をまわる生活を送る中、ある日、ビルのもとに1通の手紙が届く。
それはウェストバージニア山脈に住むビルの友人からものだった。
ビルは、手紙を読みながら曲想を思いついたのだという。

天国のような ウェストバージニア
ブルーリッジ山  シェナンドー川
木々が生えるよりも昔から
山々の歴史にはかなわないけど…
まるでそよ風のように人々は昔からそこで暮してきた


ビルとタフィーは、それまでしてきたように2人のコンビネーションで曲を完成させようとしてのだが、一ヶ月経っても納得のいくものができなかった。
当時、彼らはコンサートの後には興奮して夜も眠れない昼夜逆転した暮らしをしており、夜明けまで起きていることが日常だったという。
ある日の明け方、2人はジョンに作りかけの曲を歌って聴かせ、まだ完成にいたっていないことも伝えた。

雲に隠れた小さな丘の山の上
ピンクと紫のウェストバージニアの農家が見える
裸の女とキリストに似た男たち
そしてポンチョという犬が
ネズミをもて遊んでいる


その2番の歌詞は、ちょうど60年代にアメリカで流行していたヒッピーのファッションや生活ぶりを描いたものだった。
ジョンは「歌詞がラジオ向きではない」と指摘し、2番部分の書き換えと、主人公の心情に迫る大サビを付け加えることを提案した。

思い出すのは彼女(母なる山々)ことばかり
炭鉱労働者達みんなのマドンナで 海を知らない娘だった
鉱山の土ぼこりが大空を暗く塗りこめていた
かすかに憶えている密造酒の味 思い出すと涙が溢れてくる

その朝 僕には聴こえたんだ 
彼女(母なる山々)が僕を呼ぶ声が
ラジオから聴こえる音は 僕の心をあの場所まで運んでくれる
はやる気持ちで車を飛ばしながら僕は思った
ああ どうして僕は昨日まであの故郷へ帰ろうとしなかったんだろう 


ジョンの書き換えによって歌詞の世界観は、多くの共感を呼ぶものへと一変した。
こうして一晩のうちに出来上がった新曲「カントリーロード」を、ジョンは翌日のライブのアンコールで披露した。
もちろん楽曲の原案者であるビルとタフィーをステージに呼び込んでのサプライズ的なセッションだった。
すると、初めて観客の前で歌う曲だというのに、客席からは大歓声が沸き起こったという。


ある日、ライブが終わると観客の一人がビルに歩みより「ブルーリッジ山脈はどこにあるか、ご存知かな?」と訊いた。
ビルが「どういうことか?」と問うと…“Almost heaven, West Virginia. Blue Ridge Mountains, Shenandoah river”と歌われるブルーリッジ山脈は、まったくウェストバージニア州を通っておらず、シェナンドー川もわずかに同州にかかるだけで、そのほとんどは隣のバージニア州を流れていることを知らされたのだ。
実のところビルはウェストバージニアには行ったことがなく「これはウェストバージニアへ行く途中の風景を歌ったものなんだ」と苦し紛れに答えたという。
その後、ビルとタフィーの元にファンの夫婦が訪れ「私は主人と一緒にこの歌の風景のあるところに行きました。」と語りかけてきました。
彼らの話によると、ウェストバージニア州のハーパーズ・フェリーという町からブルーリッジ山脈が見え、シャナンドウ川が見えるのだという。
「この歌の通りに本当に天国のように美しい風景でした。」とその婦人は語り、それを聞いたビルとタフィーは「歌詞に嘘はなかった」と胸をなでおろしたというエピソードがある。


1970年の12月に完成した「カントリーロード」は、翌年の3月8日にジョン・デンバーの新曲として発売され、3月下旬にはヒットチャートに50位圏内にランクインし、7月にはトップテンに入り、8月にはミリオンセラーになるという快挙を果たす。
この大ヒットのお陰でジョン・デンバーはRCAとの契約を更新し、新たなる飛躍のチャンスを掴むこととなった。
そしてビルとタフィーもジョン・デンバーとツアー等に同行して、ミュージシャンとしてのキャリアを着実に重ねてゆくのである。
一通の手紙によってビルの心に浮かんだ“故郷への道”は、タフィーの協力とジョンのアイディアを加え、彼らを“成功への道”へと導いた。

Country Roads take me home
To the place I belong
West Virginia mountain momma
Take me home Country Roads

カントリーロード 僕を連れていってよ
僕が育ったあの場所へ
ウェストバージニアの母なる山々へ
僕を連れていってよ カントリーロード


1997年10月12日、アメリカ国内ツアーを終えてカリフォルニアで休日を過ごしていたジョン・デンバーは、自ら操縦する飛行機の墜落事故により突然この世を去る。53歳だった。





Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク

関連アーティスト

関連するコラム

[街の歌]の最新コラム

このコラムへの感想・コメントを書く

Pagetop ↑