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大阪で生まれた女〜30分を超える歌物語をヒット曲に導いたのはロック界の大物だった!

2024.04.19

1979年、当時25歳だったBOROは、シングル「大阪で生まれた女」で歌手デビューを果たす。きっと50代から60代の大阪の人にとっては、今でも思い入れの強い楽曲の一つだろう。

オリジナルの歌詞が18番まである曲で、まともに歌うと30分を超える大作としても知られている。1番から16番までに男女の恋物語が綴られ、最後の17番と18番ではBOROの人生観が語られている。当時シングル盤にされたバージョンは、その中でも情景描写が秀逸な4番と6番の歌詞を中心に構成されていた。

♪「大阪で生まれた女」/BORO
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BORO(ボロ)という名前の由来は、幼少の頃にオンボロ自転車を乗っていて付けられたニックネームだった。それは70年代の中頃のことだった。当時まだ20代前半だった彼は、北新地の夜の盛り場でギター1本で弾き語りをしながら歌手デビューを夢ていた。

「大阪の若い人が歌える今風の歌がない」

客席からのそんなリクエストに応えて、BOROはこの歌を紡いだのだ。

ちょうどその頃、内田裕也に才能を見いだされる。たまたま彼が弾き語りをしていた酒場に、内田が現れたのが1977年の暮れのことだった。その夜も酔客あいてに「大阪で生まれた女」を歌っていた。内田はステージを見て直ぐさま「いける」と確信し、さっそく歌手BOROのデビューを画策し始める。フォークでもロックでもないこの楽曲を、内田はこんな風に表現した。

「ストリートミュージックだよ!あるいは関西人にしか作れないブルースだね」

この楽曲と歌手BOROを売り出すにあたって、内田はある戦略を立てる。それは、同じ歌を東西で二人の歌手に唄わせるという斬新なものだった。一人はもちろんBORO。そしてもう一人、内田が白羽の矢を立てたのが“ショーケン”こと萩原健一だった。

テンプターズで一世を風靡した萩原は、当時すでに俳優に転身しテレビや映画を通じて人気沸騰中の頃だった。1979年の5月にショーケンのバージョンを、そして8月にBOROのデビューシングルとして同曲の連続リリースを実現させたのだ。

内田の思惑通り、相乗効果もあって曲は見事にヒットし、長きに渡って愛されつづける“大阪の歌”となった。

♪「大阪で生まれた女」/萩原健一LIVE at シアターコクーン

ある男と女が高校時代を共に過ごし、夢を抱いて東京に出た男を追いかけてついていく女、若さゆえに別れてしまう二人…その後それぞれの人生を歩み、懐かしい青春の日々を振り返る──。

そんなどこにでもありそうな物語が綴られた曲の歌詞に、昔の自分の姿を重ねながらついつい深酒をしてしまう人もいるという。歌詞の端々からは、60年代末にピークを迎えた全共闘世代の若者の暮らしが垣間見えるともいわれている。

シングルバージョンとして曲を再構成したときに、BOROはどんな想いでこの歌詞を加筆したのか…それが語られることは一度もなかった。曲のリリースから40年以上の月日が流れ、この国は大きく変化した。

いつか青春の日々を振り返るとき…僕らは何色の街を見るのだろう?

♪「大阪で生まれた女(フルバージョン)」/BORO
BORO『ゴールデン☆ベスト BORO アーリー・デイズ』

BORO『ゴールデン☆ベスト BORO アーリー・デイズ』

(2012/USMジャパン)


萩原健一『ゴールデン☆ベスト』

萩原健一『ゴールデン☆ベスト』

(2004/徳間ジャパンコミュニケーションズ)

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