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悲しくてやりきれない

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「イムジン河」のかわりに加藤和彦が作った「悲しくてやりきれない」の奥深さ

2023.10.16

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ザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」はシングル盤が発売される前日、東芝レコードの判断によって発売中止が決まった。
レコードは店頭に並ぶことなく回収されて、すべて廃棄処分になった。
それに代わって急いで作られた新曲が「悲しくてやりきれない」だったという話は広く知られている。

ただし、「イムジン河」のテープを逆回転させて作ったとか、譜面の音符を逆からたどったメロディだとか、作曲した加藤和彥の才人ぶりを伝えるエピソードは、少し面白おかしく誇張されたところがある。

〈参考コラム〉ザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」は国境を越え、時間を超えて日本人の歌になった

フォークルのメンバーだった加藤は、ニッポン放送の重役・石田達郎から会議だと急に呼び出されて、重役室で「イムジン河」が発売できなくなったことを告げられた。
そして「加藤、次出さなきゃなんないから曲作れ」とその場で言われたのだ。

「ギターがないと作れない」と答えると、部屋にはギターがしっかり用意されていた。
観念した加藤はひとり、重役室で曲作りを始めたという。

僕の部屋使っていいから、って会長室に入れられて、3時間あげるからって鍵閉められて(笑)。
といってもひらめかないから、「イムジン河」のメロディを拾って譜面に書いてて、これ、音符逆からたどるとどうなるかなって遊んでたの。
そこからインスパイアされてできた。
実際には「イムジン河」の逆のメロディでもなんでもないんだけど。


フリーの映画プロデューサーを経て1954年にニッポン放送に入社した石田は、常務取締役から専務取締役、代表取締役社長などを歴任した後に、フジテレビの社長に就任した立志伝中の人物だ。

ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」が発売が決まった時には、「この曲はオールナイトニッポンだけでかけろ」と指示を出して、全面的にプッシュした陰の仕掛け人だった。
1967年10月にスタートした深夜放送のラジオ番組「オールナイト・ニッポン」では、12月の初旬から「帰って来たヨッパライ」にリクエストが集まって記録的なブレイクとなった。

フジサンケイグループとして1970年にキャニオン・レコード(現ポニー・キャニオン)を発足させたこともあって、音楽業界では”石田のお父さん”と慕われていた。

1年間だけプロとして活動することになったフォークルのレコード制作については、ニッポン放送の子会社であるパシフィック・ミュージック・パブリッシャー(PMP)が権利を持っていた。
PMPの社長でもあった石田はゼネラル・プロデューサーの立場にあり、現場のプロデューサーが若きミュージックマンの朝妻一郎だった。

きっかり3時間後に部屋に戻った石田はできた曲も聴かずに、加藤を連れて駒場に住んでいた詩人のサトウハチローを訪ねた。

全然詞のことなんか聞いてないわけよね。
きたやまが書くとか、そういうふうに思っていたから。
いきなりサトウハチローでしょ。
「これから行くから」
いきなり連れて行かれて、それはぼくだけ。


戦前の「ちいさい秋みつけた」や「うれしいひなまつり」といった童謡、あるいは終戦後の日本に響き渡った「リンゴの唄」の作詞家としても知られるサトウハチローは、誰もが知る詩人の大家だった。
しかし当時は64歳、もはや現役感はまったくなかった。

加藤は石田の真意が分からなくて、どう反応していいのか戸惑ったという。
サトウハチローもまた加藤が何者かも知らず、特に曲を聴くでもなければ歌詞についての打ち合わせもなく、お互いに簡単な挨拶を済ませると石田が手短かに何かを話して帰ってきた。

すべては石田のペースで運んで1週間後、サトウハチローの歌詞ができ上がってきた。

加藤が試しにそれ歌ってみると、最初から詞があったかのように一字一句、メロディにぴたりとはまったので大いに驚かされたという。

「もやもや」とかなんとか、「なに、この詞」と思ったんだけど、歌ったらすごい合ってるのよ。
それでやっぱりすごいなあと思って、アレンジとかしてレコーディングしたんだけどね、やっぱりすごいよね。


「イムジン河」が発売中止になってからわずか1か月、「悲しくてやりきれない」は1968年3月21日に発売された。
偶然にもその日は加藤の21歳の誕生日だった。

悲しくてやりきれない

時の運や人気だけでなく、加藤には類まれな音楽的な才能があった。

イントロに流れる印象的なギターのフレーズを耳にした瞬間に、懐かしさを喚起させるのはメロディの力である。
間奏とエンディングには流れ行く河のように、ストリングスがメロディを奏でる。

そこに歌詞によって普遍性がもたらされたことから、いっそう奥が深い歌になったと言える。

全編に通底する「もやもや」とした感覚とやるせなさ、それをわかりやすく言葉に表現したサトウハチローの歌詞は、時代を超えて歌い継がれていくことになった。

生まれてからまもなく半世紀を迎えて、「悲しくてやりきれない」は数多のシンガーに歌い継がれて、今では日本でも有数のスタンダード・ソングになっている。


(注)加藤和彦の発言は、加藤和彦/ 前田祥丈(著)牧村憲一(監修)「エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る」 (SPACE SHOWER BOOks)、及び「文藝別冊 加藤和彦 あの素晴しい音をもう一度 」(河出書房新社)からの引用です。

『ザ・フォーク・クルセダーズ ゴールデン☆ベスト』
ユニバーサルミュージック






(このコラムは2014年12月5日に公開されたものです)

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