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サム・クックとモハメド・アリ〜黒人公民権運動のもと、不思議な縁に導かれた二人のスター

2019.12.14

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1963年、サム・クック(当時32歳)は伝説のボクサー、モハメド・アリ(当時21歳)と初めて出会う。
この頃サムはすでに黒人R&Bヴォーカリストとして大スターの座を獲得しており、その人気ぶりはアリにとっても憧れの対象だったという。
一方アリはプロ転向して次々にタイトルマッチで勝利し、まさに“快進撃”を続けている時期だった。


1963年の11月、サムは恒例となっていたアポロシアターでの一週間公演でニューヨーク(ハーレム)のホテル・テレサに滞在していた。
その時、アリも偶然同じホテルに宿泊していたという。
アリは当時自らの言葉を吹き込んだレコード「I Am The Greatest」のプロモーションのためと、3ヶ月後に行われるソニー・リストンとのタイトルマッチの宣伝のためにニューヨークに来ていた。
このホテルの一室は黒人公民権運動活動家マルコムXの事務所にもなっていたため、当時の黒人文化を代表する新世代の3人が一堂に会することとなったのだ。
アメリカでは公民権運動が盛り上がりを見せていた時代だった。
1963年8月28日には20万人以上が参加したワシントン大行進があり、キング牧師があの“I Have a Dream”から始まる伝説的な演説を行い、かつてないほどの勢いでブラックパワーが渦巻いていた。
奇しくもサムがアポロ公演を行なっていた11月22日には、公民権法成立に尽力したジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された。
サムとアリは、人種差別撤廃という共通の目的のもと不思議な縁に導かれて交流を持つようになる。
二人をつなぐ役割を果たしていたのがマルコムXだった。
ビジネスに対する厳しい姿勢を持ち、音楽界で人種の壁を越えたアイドルを目指していたサムはアリに大きな影響を与えたという。
二人が出会って3ヶ月後の1964年2月25日、アリはWBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストンに挑戦する。
当時史上最強のハードパンチャーと評価されたリストンに対しアリは絶対不利と言われ、賭け率は7対1でリストンが優位だった。
しかしアリは臆せず「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と公言。
試合は一方的なものとなり、6R終了時にアリのTKO勝ちとなった。
サムはその日の様子を鮮明に憶えていた。

「僕はカシアスの試合を観戦するためにマイアミに飛んだんだ。彼が準備してくれたリングサイドの席には、少し前にハーレムのホテルで出会ったマルコムXが隣に座っていたよ。6Rで勝負がついた時、リングに雪崩れ込んでくる暴徒を掻き分け、インタヴューをさえぎって僕を抱きしめて叫んだんだ。」

「世界一グレートなロックンロールシンガー!!!」

試合後、サムはLAの新聞ロサンゼルス・センティネル誌のインタヴューに答えた。

「彼が第一ラウンドを切り抜けてからは、落ち着いて仕事ぶりを観ていたよ。カシアスは僕が今まで出会った中で、最もグレートなエンターテイナーでありショウマンの一人だ。彼は我々同胞の若者たちにとって素晴らしい手本だ。」

まだ人種差別が当然のことだった時代に、サムはしたたかな計算と強い信念で発言し、それに伴う行動をおこしていく。
サムはアリと共に当時ピークを迎えようとしていた公民権運動にも深く関わりを持とうとしていたのだ。


僕は川のほとりの小さなテントの中で生まれたんだ
僕がこれまでに流されてしまった川の流れのような
それは長い長い時間が掛かったよ
転機が訪れるってわかるんだ
そうだきっとそうなるよ

死ぬことは怖いけれど生きているのもあまりに厳しい
この空の向こうでは一体何が起きているのか僕には分からない
それは長い長い時間が掛かったよ
転機が訪れるってわかるんだ
そうだきっとそうなるよ


アリはソニー・リストンを破り、史上最年少で世界ヘビー級の王座を獲得した。
試合後、アリは祝勝パーティーなど行わずにサムとジム・ブラウン(アメリカンフットボールのスター選手)を連れて、マルコムXが宿泊するホテルの部屋へ向かった。
そして4人だけでアイスクリームを食べながら勝利を祝い、静かに一夜を過ごしたという。
翌朝、アリはマルコムXがスポークスマンとなっていたアフリカ系アメリカ人のイスラム運動組織NOI(ネーション・オブ・イスラム)への加入を発表。
その後、奴隷の名前だという理由で本名の「カシアス・クレイ」を捨て、NOI代表のイライジャ・ムハンマドから授けられた新しい名前「モハメド・アリ」を名乗ることとなる。



試合の数日後、サムはアリをニューヨークのコロンビアスタジオに連れて行った。
サムは新しいチャンプのために「Hail, Hail, the Gang’s All Here」(1917年に発表されたアメリカの人気曲)のロックンロールバージョンをプロデュースする。
レコーディングセッションの現場は、お祭り騒ぎだったという。
サムはチャンプが即興で歌詞を吹き込んだり、報道陣と冗談を言い合っている姿を微笑ましく見ていた。
二人はその後も共同でレコードを録音する計画も立てていて、そのプロジェクトにはマルコムXが関わることも決まっていたが…出会いから約一年後の1964年12月11日にサムがモーテルで謎の死をとげてしまい、その計画が実現することはなかった。




<引用元・参考文献『Mr.Soul サム・クック』ダニエル・ウルフ(著)石田泰子(翻訳)加藤千明(翻訳)/ブルースインターアクションズ>



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