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ブルース・スプリングスティーン〜禁じられた日々

2016.09.26

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1975年8月に発表されたブルース・スプリングスティーンの3作目『Born To Run』は、センセーションを巻き起こす。だが、その成功の喜びも長くは続かなかった。マネージャーのマイク・アペルとの関係がこじれていたのだ。アペルは『Born To Run』の共同プロデューサー、ジョン・ランダウの影響力を好ましく思っていなかった。

翌1976年7月、アペルは契約条項を持ち出し、ランダウが次作をプロデュースできないと告げる書簡をブルースに送った。ブルースは彼を解雇し、信託背任などで告訴するが、アペルもすぐに対抗訴訟を起こす。ブルースの27歳の誕生日の前週、9月15日に裁判所はその裁判が解決するまで、彼が録音を行うことを禁ずる裁定を下した。

アルバムの制作ができなくなり、『Born To Run』からの収入も凍結され、ブルースとEストリート・バンドは2年近く続いていたツアーをさらに続行させるしかなかった。しかし、先の見えない争いは彼を落ち込ませていた。1977年2月のデトロイト公演では人生で最初で最後だが、舞台に立ちたくないとまで思ったという。

「そのときに、人々がどのように酒やドラッグにのめりこむのか分かったよ。というのは、そういったときに求める唯一のものは気を散らしてくれる何かだからね」

1977年5月28日に最終的な和解が成立。
ブルースはさっそくセッションを開始する。だが、彼は『Born To Run』の続編を作らないと決断していた。新たな方向性の模索から、録音した約70曲のほとんどをお蔵入りさせることになり、満足のいくアルバムの完成までにはさらに1年以上が必要だった。だが、その苦闘の3年の甲斐はあり、1978年に発表した『Darkness on the Edge of Town』は、現在に至るまでのブルースの作品の方向性を定める決定的なアルバムとなる。

ブルースは訴訟で苦しんだ1年間を「今から振り返ると、実のところ良いことだった」と言い切る。突然の大成功に自分を見失うかもしれない時期だっただけに、立ち止まらざるを得なかったことが自分を冷静に見つめ直す時間をくれた。それが良かったというのである。

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ブルース・スプリングスティーン『Darkness on the Edge of Town』
(1978)
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ブルース・スプリングスティーン『The Promise』
(2010)
ブルースは彼を解雇し、信託背任などで告訴するが、アペルもすぐに対抗訴訟を起こす
その契約はアーティストにとても不利な内容ではあったが、当時の業界の慣習的な内容ともいえ、ブルースも自分が世間知らずだったと認め、 あくまで彼らの争いは音楽に関するコントロールの権利の争いだったと振り返る。 2人は1986年に再会して友情が復活、親しく付き合っている。

Darkness on the Edge of Town
長年保管庫に眠っていた1977~1978年セッションからの未発表曲/録音22曲が、2010年に発表された6枚組ボックス『The Promise: The Darkness on the Edge of Town Story』で陽の目を見た。同時に2枚組CD『The Promise』としても別売りとなったが、ブルースはそれを編集盤ではなく、30年少し遅れで発売されたオリジナル・アルバムの一つとみなしている。
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『スプリングスティーンの歌うアメリカ』五十嵐正
(音楽出版社)
本書はストリートロックを極めた70年代〜世界的スーパースターとなった80年代以降の、1995年〜2009年までのボスの活動をテーマに様々な観点で綴られる。時代と社会と真っすぐに向き合い、自身も正直に年を重ねていく姿にこそ、本当の「ロックンロールの未来」があったことを教えてくれる一冊。精力的にアメリカという物語を紡ぐその姿は、もちろん2014年現在にも繋がる。(TAP the POP編集部)

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『ボーン・トゥ・ラン:ブルース・スプリングスティーン自伝』

TAP the POP 2周年記念特集 ミュージシャンたちの27歳~青春の終わりと人生の始まり〜

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