ビートルズの記念すべきデビュー・シングルとなった「ラヴ・ミー・ドゥ」。プロデューサーのジョージ・マーティンが用意した曲を拒否して、オリジナルにこだわって録音されたこのナンバーは、1962年の10月5日にイギリスでリリースされると、全英チャートで最高17位を記録した。
続く2ndシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」から始まる連続1位の快進撃を思えば、決して輝かしいスタートだったわけではない。だが、この楽曲に心を震わされて、早い段階でビートルズに目覚めた若者たちもいた。
シンガー・ソングライターのドノヴァンもその一人だ。
1946年にスコットランドで生まれたドノヴァンは家族の影響でフォーク・ソングを聴くようになり、1965年に18歳という若さでイギリスのレーベルからデビューを果たす。
ドノヴァンのレコードを聞いたメディアは当時、やたらとボブ・ディランと比較したがった。アコースティックギターの弾き語りにハーモニカというスタイルに加え、デビュー曲の「キャッチ・ザ・ウインド」が「風に吹かれて」を連想させたのかもしれない。

それぞれの音楽の背景にはウディ・ガスリーやジャック・エリオットといった、偉大なフォーク・シンガーの存在、あるいはスコットランドの民謡などに共通する部分があることを、2人はともに理解していたし、互いの音楽の違いもわかっていた。
しかしそれを説明したところで、2人を比べることをメディアがやめようとはしなかった。事あるごとにディランと並べられることは、ドノヴァンにとって気分のいいものではなかった。
ドノヴァンにはフォークソングとは別に、大きな影響を受けた音楽があった。それがビートルズの「ラヴ・ミー・ドゥ」である。
ドノヴァンはある日、家出をするも警察に見つかってしまい、家まで連れ帰らされてしまう。仕方なく家に入ると台所のラジオから、ハーモニカの音が聞こえてきたという。
その曲こそビートルズの「ラヴ・ミー・ドゥ」だった。デビューする2年ほど前、17歳のときのことだ。

ビートルズってグループは知らなくて、とにかくハーモニカの演奏を聞きましてね。ぼくはすでにハーモニカをやってたものだから、ああ、このバンドがハーモニカを吹いてるってわけで、耳を傾け、仰天しましてね。「これをやりたい、フォーク界は狭い」って思いましたよ。
ただし、ドノヴァンはアコースティックギターを捨てたわけでも、ソロによる活動をやめたわけでもなかった。ドノヴァンがやりたいと思ったのはロックやバンドではなく、過去の伝統に縛られずに自由に自分のやりたいことをやるということだった。
そうやって自分のオリジナルを模索して追求していたからこそ、ディランの音楽を盗んだと言われるのには、我慢ならなかったのだろう。
そんなドノヴァンの個性と才能がいかんなく発揮された作品が、1966年に発表された「サンシャイン・スーパーマン」だ。サイケデリックの先駆けとしても知られ、サウンド的にもフォークから抜け出したこの作品の大ヒットによって、ドノヴァンは“イギリスのディラン”というイメージを払拭するのだった。

「ラヴ・ミー・ドゥ」を初めて聞いたときにビートルズから貰った借りを、これで返せたような気持ちになりましたね。
引用元:
「ポップ・ヴォイス スーパースター163人の証言」ジョウ・スミス著/三井徹訳(新潮社)
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